2007年 07月 09日
身辺雑記(5):公園で猫ちゃんと過ごした星も見えない七夕の夜
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コンビニのレジは一見してこんな子に店番できるのという感じの女の子一人だったが,「温かいものと冷たいものを一緒にしてもいいですか?」という行き届いた質問で私を驚かせた.私は「かまわないよ」と返答したがソーセージとフライドチキンは個包装になっていて,その他に小さい小袋様のものが付いていた.見ると芥子とケチャップの入った小さな容器だった.これも予定していなかったので,私はかなり感激した.総じて私は星祭りを祝うこの晩の小パーティのシチュエーションに満足を感じていた.私の目の前の小さな蜘蛛は巣から降りるとそのままどこかに消えてしまって,少なくとも私がその場にいる間は2度と現れなかった.何とも不可解な行動である.私はクモの行動を合理的に説明する解釈を探しながらフライドチキンに取り掛かった.
ふなぐち菊水一番絞りのアルミ缶は今では全国どこでも手に入るようだが,昔は限られたルートでしか手に入らない希少品だった.現在は大量生産しているのだろうが,味は昔と比較しても特に落ちていないように思われるところがなかなかだと思う.右手でフライドチキンをつかみ,酒缶を持つのも右手なので,フライドチキンから酒に移るときはハンカチで一々手を拭くことになる.こうした理由は多分両手に持った場合,右・左を交互に使ってあっという間に食べ終わってしまうことになるのをおそれたからではないかと思う.かなりの時間をかけてフライドチキンはようやくほとんど1本の太い骨に近いところまで来ていたが,その両端にこびりついた軟骨部分を剥がすのに難儀を感じるようになった.軟骨を咀嚼して呑み下すのに要する時間もほとんど確定できないことが予想された.「弱ったな,どうしたもんだろう?まさかこんな厄介なものだとは思わなかった...」
丁度このとき,まさに私の内心の声を聞いていたかのように小さな黒い影が私の目の前の板橋の上にヒラリと躍り上がってこちらに向き直った.「あ,ネコちゃんだ!よく分かったね」目と目が合って一呼吸した後,私は私の足元から1メートルほど離れたところにトリの骨を投げた.真っ黒の子ネコ,体格からすると中学上級生くらいのネス猫だ.抱きしめたいほどに懐かしさがこみ上げて来る.子ネコは一瞬身を引いてから迂回して忍び足で骨に接近し,くわえるやいなやダッシュして橋の下に潜り込んだ.私はこの子ネコに会えたことよりも,そのタイミングに感激した.タイミングこそ私の至純・至高の評価基準である.もし,もっと早い時間に現れて傍でおねだりされたら,私はおちおちフライドチキンを味わっていられなかったかもしれない.もしあと少しばかり遅かったら,多分そのときにはきれいに片付いて骨しか残っていなかっただろう.
この子ネコが,私が食べ終わり近くになってもてあまし困惑を感じ始めたまさにそのタイミングで現れたことは,私にはほとんど奇跡のように感じられた.実際私の定義では「奇跡」とはこのようなことを言うのである.子ネコは真っ黒だったし,橋の下は暗いので子ネコの姿は見えなくなってしまったが,目を上げて少し遠方を見やると2,30メートルほど向こうの板橋が折れ曲がっているあたりに何か黒い物体があるのが見えた.最初は吹き寄せられた新聞紙か何かにしか見えなかったが,三角形が2つ少し離れて並んでいるシルエットからネコと推定したものの,確信はもてなかった.というのは,この影は凝視していても長時間微動だにしなかったからである.
食べ終わった子ネコが板橋の上に戻ってきて,私の前で身づくろいを始めた.と言っても前足の裏を舐める程度のかなり簡略なものだ.ステージにはどこからともなく大きなドラ猫が現れて子ネコの方に進んできた.黒い影があった方を見ると果たしてそこは空っぽになっていたので,あのうずくまっていた影がこのドラ猫であったことは間違いない.ドラ猫は子ネコの正面に立つと例によってクンクンと臭いをかいでそのまま横を通り過ぎ,ぐるっと回ってちょうど前回いた場所と反対の位置まで進んで止まり,こちらに向き直るときっこの日記で言う「香箱」を作った.この距離感が絶妙だ.十分過ぎると言ってもよいくらいのかなり離れた距離ではあるが,離れ過ぎてはいない.ネコは緻密にして暑苦しくないある絶対的な距離感覚を持っている.先に「時間」についての私の基準を述べたが,ネコの魅力的なところはこの「空間性」における美意識である.
今度は真っ黒いメス猫が現れた.この黒猫が私の子ネコの母親であることに疑問の余地はない.そのうち,この黒猫の亭主までが出てきた.これがこの公園の猫のコミュニティのほぼ全容だろう.限られた生活資源をシェアして共同生活するミニマムなコミュニティだが,リーダーが存在し整ったルールと生活のリズムが守られている.子ネコがありついたエサを強いネコが暴力的に奪うなどのことが絶対に起こらないことは言うまでもない.オス猫どもはノラ暮らしに慣れて身なりにはほとんど無頓着なのか大分薄汚れた感じだったが,結構太っていたのでそれほど困窮していないようにも見えた.「公園ネコ」という存在が何時ごろから発生したのかよく分からないが,少なくとも70年代にはまだいなかったように思う.「外ネコ」から派生したのが「公園ネコ」ではないかと思うのだが違うだろうか?「公園ネコ」は昔のサザエさんに出てくる「野良猫」とはかなりイメージが違う.もう少しおっとりしていて生活を楽しむ余裕がある.
子ネコは私のそば近くまでにじり寄って私と遊びたいそぶりを見せたが,手が届くところまでは近寄らなかった.毎週一度この公園に遊びに来てみようかな?などという漠然とした考えが頭に浮かぶ.お酒も飲みきったし,そろそろ退散する時間になった.ネコたちも一匹二匹と裏手の方に消えて行った.最後に,離れたところで一人香箱を作っていたボス猫が頃合を見計らって立ち上がり私の前を過ぎると,やや黄味を帯びた街灯の光に濡れた青草を踏んで右手の方に立ち去っていった.この一幕の間ネコたちは影絵のように終始無言で立ち振舞っていたが,このボス猫だけがふてぶてしい面構えにも似つかぬ思いもかけない優しい声で鳴きながらネコたちの後を追っていったのには意表を突かれた.星の見えない七夕の一夜だった.
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真夜中にハクビシン2匹がビワの実を食べに来た話 (2006-07-01)
迷い込んできた女王アリの優美な曲線と私の隣室のくの一たち (2006-06-27)
追伸:ハエと遊ぶ (後日談) (2006-06-14)
追伸:ハエと遊ぶ (2006-06-14)
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ふなぐち菊水一番絞りのアルミ缶は今では全国どこでも手に入るようだが,昔は限られたルートでしか手に入らない希少品だった.現在は大量生産しているのだろうが,味は昔と比較しても特に落ちていないように思われるところがなかなかだと思う.右手でフライドチキンをつかみ,酒缶を持つのも右手なので,フライドチキンから酒に移るときはハンカチで一々手を拭くことになる.こうした理由は多分両手に持った場合,右・左を交互に使ってあっという間に食べ終わってしまうことになるのをおそれたからではないかと思う.かなりの時間をかけてフライドチキンはようやくほとんど1本の太い骨に近いところまで来ていたが,その両端にこびりついた軟骨部分を剥がすのに難儀を感じるようになった.軟骨を咀嚼して呑み下すのに要する時間もほとんど確定できないことが予想された.「弱ったな,どうしたもんだろう?まさかこんな厄介なものだとは思わなかった...」丁度このとき,まさに私の内心の声を聞いていたかのように小さな黒い影が私の目の前の板橋の上にヒラリと躍り上がってこちらに向き直った.「あ,ネコちゃんだ!よく分かったね」目と目が合って一呼吸した後,私は私の足元から1メートルほど離れたところにトリの骨を投げた.真っ黒の子ネコ,体格からすると中学上級生くらいのネス猫だ.抱きしめたいほどに懐かしさがこみ上げて来る.子ネコは一瞬身を引いてから迂回して忍び足で骨に接近し,くわえるやいなやダッシュして橋の下に潜り込んだ.私はこの子ネコに会えたことよりも,そのタイミングに感激した.タイミングこそ私の至純・至高の評価基準である.もし,もっと早い時間に現れて傍でおねだりされたら,私はおちおちフライドチキンを味わっていられなかったかもしれない.もしあと少しばかり遅かったら,多分そのときにはきれいに片付いて骨しか残っていなかっただろう.
この子ネコが,私が食べ終わり近くになってもてあまし困惑を感じ始めたまさにそのタイミングで現れたことは,私にはほとんど奇跡のように感じられた.実際私の定義では「奇跡」とはこのようなことを言うのである.子ネコは真っ黒だったし,橋の下は暗いので子ネコの姿は見えなくなってしまったが,目を上げて少し遠方を見やると2,30メートルほど向こうの板橋が折れ曲がっているあたりに何か黒い物体があるのが見えた.最初は吹き寄せられた新聞紙か何かにしか見えなかったが,三角形が2つ少し離れて並んでいるシルエットからネコと推定したものの,確信はもてなかった.というのは,この影は凝視していても長時間微動だにしなかったからである.
食べ終わった子ネコが板橋の上に戻ってきて,私の前で身づくろいを始めた.と言っても前足の裏を舐める程度のかなり簡略なものだ.ステージにはどこからともなく大きなドラ猫が現れて子ネコの方に進んできた.黒い影があった方を見ると果たしてそこは空っぽになっていたので,あのうずくまっていた影がこのドラ猫であったことは間違いない.ドラ猫は子ネコの正面に立つと例によってクンクンと臭いをかいでそのまま横を通り過ぎ,ぐるっと回ってちょうど前回いた場所と反対の位置まで進んで止まり,こちらに向き直るときっこの日記で言う「香箱」を作った.この距離感が絶妙だ.十分過ぎると言ってもよいくらいのかなり離れた距離ではあるが,離れ過ぎてはいない.ネコは緻密にして暑苦しくないある絶対的な距離感覚を持っている.先に「時間」についての私の基準を述べたが,ネコの魅力的なところはこの「空間性」における美意識である.
今度は真っ黒いメス猫が現れた.この黒猫が私の子ネコの母親であることに疑問の余地はない.そのうち,この黒猫の亭主までが出てきた.これがこの公園の猫のコミュニティのほぼ全容だろう.限られた生活資源をシェアして共同生活するミニマムなコミュニティだが,リーダーが存在し整ったルールと生活のリズムが守られている.子ネコがありついたエサを強いネコが暴力的に奪うなどのことが絶対に起こらないことは言うまでもない.オス猫どもはノラ暮らしに慣れて身なりにはほとんど無頓着なのか大分薄汚れた感じだったが,結構太っていたのでそれほど困窮していないようにも見えた.「公園ネコ」という存在が何時ごろから発生したのかよく分からないが,少なくとも70年代にはまだいなかったように思う.「外ネコ」から派生したのが「公園ネコ」ではないかと思うのだが違うだろうか?「公園ネコ」は昔のサザエさんに出てくる「野良猫」とはかなりイメージが違う.もう少しおっとりしていて生活を楽しむ余裕がある.
子ネコは私のそば近くまでにじり寄って私と遊びたいそぶりを見せたが,手が届くところまでは近寄らなかった.毎週一度この公園に遊びに来てみようかな?などという漠然とした考えが頭に浮かぶ.お酒も飲みきったし,そろそろ退散する時間になった.ネコたちも一匹二匹と裏手の方に消えて行った.最後に,離れたところで一人香箱を作っていたボス猫が頃合を見計らって立ち上がり私の前を過ぎると,やや黄味を帯びた街灯の光に濡れた青草を踏んで右手の方に立ち去っていった.この一幕の間ネコたちは影絵のように終始無言で立ち振舞っていたが,このボス猫だけがふてぶてしい面構えにも似つかぬ思いもかけない優しい声で鳴きながらネコたちの後を追っていったのには意表を突かれた.星の見えない七夕の一夜だった.
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by exod-US
| 2007-07-09 12:39
| 我が命運の尽きる日まで
















