2005年 12月 01日
独裁者の支配から離脱・独立した分派グループの地上天国その後
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theory-edge というヤフー・ディスカッション・グループがある.私がこのグループに加入して,もうかれこれ7,8年くらいにはなるはずだ.現在1600人ほどのメンバーを擁する自然科学(数学)系ではトップランクに入る有力なコミュニティである.メンバーは公開されていないのではっきり言えないが,アマチュアと専門家でおよそ半々くらいに分かれるのではないかと思われる.最先端科学のあらゆるトピックスを扱っているが,主たる対象領域はアルゴリズムと計算量理論である.ちなみに日本国籍メンバーは人口比に応じた(たとえば50人)くらいはいるはずだが,記憶する限り私以外の日本人投稿者にお目にかかったことはない.
中でもつねに興味の中心にあり,照準が向いているのはNP完全問題と呼ばれる年代ものの葡萄酒よりも古い,3世紀を経た未解決の超難問である.NP完全問題をきちんと説明するためにはチューリング・マシーンという仕掛けを導入しなくてはならないのだが簡略な説明を試みると,計算量理論というのは問題の難しさを計算に要するリソース(時間・空間)の消費量から定式化しようとする理論であり,多項式時間(Polynomial Time)で解くことのできる問題をPクラスの問題と言う.これに対し,計算に指数時間を要するような問題は非決定性多項式時間(Non-deterministic Polynomial Time)問題,つまりNPクラスの問題と呼ばれる.
NP完全問題というのはこのような非決定性P問題クラスのうちもっとも難しい一群の問題集合で,相互に多項式時間で変換可能という特殊な性質を持つものを言う.このため一つのNP完全問題をP時間で解くアルゴリズムが発見されれば,すべてのNP完全問題がP時間で解けることになる.P時間問題というのは,人間が妥当な時間で解ける問題領域ということを意味するから,NP完全問題というのは人間の到達可能領域の限界,言ってみればバンアレン帯のようなゾーンを形成していると考えてよい.現在このようなNP完全に属する問題としておよそ数千種が知られている.私のテリトリはグラフ理論だが,その中でもハミルトン閉路問題は私の好きな問題の一つで,これもNP完全問題に含まれる.この辺りでなら私の名前も多少は知られていないこともない.
このグループの主宰者はVladimir Z. Nuri というロシア風の名前(プーチンと同じ)を持ったアメリカ人である."LINUX"の成功に触発されてネット上での"FREE SCIENCE"を提唱し,20世紀終盤に確立したインターネットというまったく新しい情報伝達システムを活用して,アカデミーの閉鎖性・権威主義を打ち破り,水平的に結合した有名・無名の研究者がボランティア・ベースで参加・協働することにより科学の進歩を著しく加速できるのではないか?という野心に満ちた企てを発案した.Vladはすこぶる頭の切れる男で(多分当時20代),ここには当代のトップクラスの論理学者と差しで対話ができるほど回転のよい人間はこの男を除いてはいなかった.グループの創設が1998年,私が加入したのが1999年頃だから,私もすでに古参メンバーの一人である.
私はここでVladからずい分いろいろなあだ名をもらった,破れ薬缶=基地外(crackpot),数髑髏新参者(Numskull Neophyte),グラフの魔術師(Magician of Graphs),恐れを知らぬサムライ学際戦士(theory-edge samurai warrior, surely frightened at nothing),位相同型住人槍のドン・キホーテ,(our resident tilter-at-isomorphisms don quixote)などなど.これらのあだ名を聞くだけでも,私がここでどんなハチャメチャな暴れ方をしていたかはご想像が付くのではなかろうか?theory-edge でようやくそれなりの実績が認められ安定した席次に着けるようになったのは,1年余を経過した2000年頃である→"great moments in theory-edge history".
さて,おもしろい話はたくさんあるのだがここは先を急ぐことにしよう.私が加入したころはまだメンバーは150人にも満たなかったように思う.多士済々,中には温厚な熟達の研究者もいたのだが,主だった常連メンバーはそれぞれ一癖も二癖もある,Vladに言わせればクラックポット(基地外)ばかりだった.基本的にアマチュアベースでおのおのが「我こそは次代のアインシュタイン」と思い込んでいるような者ばかりであったから,ほとんど基地外病院でてんでに大声を挙げて大騒ぎしているさまを思い浮かべてもらえばよい.Vladはそれを何とかコントロールしてまともな方向に収斂させ,アカデミーと伍することのできるような水準まで高めたいと悪戦苦闘していた.
Vladの口癖は「halfbaked ではダメだ!」というものだった.読者はここで多分このストーリイが前便の「ある仏蘭西料理店の店仕舞い」をきっちり参照していることに気付かれるに違いない.
これら創立メンバーの中の一人に,Daniel Pehoushek というウクライナ出身の男がいた.ウクライナと言えば,この他にAnatoly PlotnikovとStanislav Busyginがいる.元大学教授のAnatoly はその当時既に70歳に近い身で3人の娘を抱えウクライナの不況のどん底で四苦八苦していた.Stasは後に発奮してアメリカに移住し,どこかの大学に潜って働きながら正規の研究者コースを進むことになる.(包まずに言えば,50歳を越した私自身もそのような希望を持っていたのだが,挫折してしまった.伊能忠敬が昌平黌に学んだのは50歳になってからだし,イリノイ大学のLiu教授からは何時でもおいでなさいという招聘を受けていたのだが,私もどん底にいてアメリカに渡る「金」を作れなかった.) Danはその頃確かMITを卒業してアメリカに居住していたはずだ.Danは「世界最速の全文検索アルゴリズム」を開発したと豪語していたが,研究テーマとしては時間計算量ではなく,空間計算量(領域計算量)がPになるような問題領域(P領域問題)を追いかけていた.
←Anatoly D. Plotnikov : Anatolyは私の研究所で仕事がしたいと言ってきたが,私自身が食いはぐれていたのだから,どうにもならなかった.
彼(Dan)はまだ知られていなかった定理を一つ発見し,その証明を得てネット上で発表した.これはtheory-edgeで得られた始めての客観的な成果物である.Danは協力者を求めていて一時私を引き込もうとしたこともあるが,私は関心領域をあまり拡大するとまとめきれなくなることを恐れて乗らなかった.DanとVladはあまりうまくいっていなかった.「原因は?」と問われるとあまり明確には説明できない.Vladの完全主義がDanの中に潜むある種の好い加減な部分を許さなかったのではないか?という気もする.私自身もときにはDanにうっすらと疑問を感じるところもあったが,そのようなことは多かれ少なかれどのような場にも起こり得ることであろう.
何かの拍子でバトルが始まり,最終的にVladはDanをグループから追い出してしまった.Vladの攻撃(罵倒)パワーはすさまじく強力で,耐え切れずに脱落して行った人間は数えきれない.その中には私から見ても有り余る才能を持った間違いなく天才と呼べる男たちが何人も含まれる.私自身初期にはずい分攻撃を受けたが,ここを出たらもう行くところはないという想いで耐え抜いた.(私はディベートでVladに負けたことはない) まぁ,一時代昔の親方や兄弟子によるしごきみたいなものを想像してもらえればよい.しかし,このときはそれでは済まなかった.VladはDanの父親から受け取ったというメールを公表し,Danが以前分裂症で精神病院に入院したことがあるという病歴を公衆の前で暴露してしまったのである.これで,これまでVladの横暴を横目で見ながらなんとか我慢に我慢を重ねてきた多数の良識派の怒りが爆発した.
Vladの最大の関心事はグループのメンバー数を拡大することだった.ディスカッションの水準の低下を防止しようとする彼の涙ぐましい努力の最大の理由は,それによってアカデミーから来ているハイランクのメンバーが嫌気が差して散ってしまうことに対する恐れだったと言っても過言ではない.Vladは独裁者であったから,それに正面から批判を浴びせるときには身の危険を感じないわけにはゆかないのは当然である.Vladに対する攻撃の口火を切ったのは多分私だったと思う.沈黙を守ってきた良識派の面々がそれに同調し,結論を急げば「最終的にグループは2つに分裂した」.ただし分裂は排他的なものではなかったので,私を含む大方のメンバーは新しいグループに重複加入した.
Stanislav Busygin ↓
分派行動の頭になったのは,前出のStasである.ヤフーグループの中にStasを主宰者とするalgorithm-forgeという新しいメーリング・リストを作ることになった.algorithm-forgeでは,テクニカルな議論つまり,専門的で長文の綿密・詳細な部外者には退屈過ぎるような投稿も許されることになった.これまでtheory-edgeではそのような議論は抑圧され,場合によっては禁止されていた.投稿禁止と除名処分はこれまでと同様主宰者の専権とされたが,Stasは主宰者の地位に固執していないように見えたし,実際共同主宰を提案したりしていたので問題にならなかった.algorithm-forgeの設立は我々にとってある種のエクソダスの経験であったことは確かである.我々はようやく手に入れた新天地で解放の欣びを頒かち合い,握手を交わし肩を抱き合ってそれを確かめ合った.
それでは,皆が力を合わせて独裁者に抵抗し,ようやくにして勝ち取った独裁者のいない自由の天地,理想のメーリングリストの実現された地上天国が今どうなっているかを見ることにしよう.現在algorithm-forgeのメンバーは562人でtheory-edgeの1593人には遠く及ばない.メンバー数の多寡はもちろん問題ではない.が,問題はその内容である.algorithm-forgeではテクニカルな議論が許されるという特徴はまだ残っている.しかし,ほとんど常時シャッターが降りた状態になっていて,投稿は3ヶ月に一度くらいの超低水準に落ち込んだままだ.これは基本的に主宰者の資質による現象である.Stasは有能な研究者ではあるが,自分の持ち時間を削ってまでサービスをするつもりはなかった.一方,Vladはほとんどフルタイムでグループに奉仕し,メーリングリストへの情報注入に全時間を消費している.時間が経過してみると,Stasも結構権力者として振る舞うことが嫌いでないばかりか,時にはVladの上をゆくような態度に出ることもあるというのも見えて来た.
一般メンバーはこの状況に特に不満もないし,困ってもいない.なぜならコア・メンバーのほとんどは両方のグループに同時に属しているからである.つまり,2つのグループの使い分けが可能になっている.私は話が込み入ってくればalgorithm-forgeに移って議論を続行するし,何か成果を華々しくアナウンスしたいときには,オーディエンスの多いtheory-edgeで行なうことにしている.Stasはtheory-edgeに籍があり投稿することも可能だが,Vladは以前としてalgorithm-forgeからはパージされた状態になっている.Vladはこれまで何度もこの禁止を解除してくれるようStasに懇請しているが,おそらく永久追放のまま解除される日は来ないだろう.
ところで,このストーリイの教訓は何だろう?どうも竜頭蛇尾の話になってしまったような感じもするのだが,確かに世の中というのはこんなものかな?という感じもするのである.
←ワン・クリック!
中でもつねに興味の中心にあり,照準が向いているのはNP完全問題と呼ばれる年代ものの葡萄酒よりも古い,3世紀を経た未解決の超難問である.NP完全問題をきちんと説明するためにはチューリング・マシーンという仕掛けを導入しなくてはならないのだが簡略な説明を試みると,計算量理論というのは問題の難しさを計算に要するリソース(時間・空間)の消費量から定式化しようとする理論であり,多項式時間(Polynomial Time)で解くことのできる問題をPクラスの問題と言う.これに対し,計算に指数時間を要するような問題は非決定性多項式時間(Non-deterministic Polynomial Time)問題,つまりNPクラスの問題と呼ばれる.
NP完全問題というのはこのような非決定性P問題クラスのうちもっとも難しい一群の問題集合で,相互に多項式時間で変換可能という特殊な性質を持つものを言う.このため一つのNP完全問題をP時間で解くアルゴリズムが発見されれば,すべてのNP完全問題がP時間で解けることになる.P時間問題というのは,人間が妥当な時間で解ける問題領域ということを意味するから,NP完全問題というのは人間の到達可能領域の限界,言ってみればバンアレン帯のようなゾーンを形成していると考えてよい.現在このようなNP完全に属する問題としておよそ数千種が知られている.私のテリトリはグラフ理論だが,その中でもハミルトン閉路問題は私の好きな問題の一つで,これもNP完全問題に含まれる.この辺りでなら私の名前も多少は知られていないこともない.
このグループの主宰者はVladimir Z. Nuri というロシア風の名前(プーチンと同じ)を持ったアメリカ人である."LINUX"の成功に触発されてネット上での"FREE SCIENCE"を提唱し,20世紀終盤に確立したインターネットというまったく新しい情報伝達システムを活用して,アカデミーの閉鎖性・権威主義を打ち破り,水平的に結合した有名・無名の研究者がボランティア・ベースで参加・協働することにより科学の進歩を著しく加速できるのではないか?という野心に満ちた企てを発案した.Vladはすこぶる頭の切れる男で(多分当時20代),ここには当代のトップクラスの論理学者と差しで対話ができるほど回転のよい人間はこの男を除いてはいなかった.グループの創設が1998年,私が加入したのが1999年頃だから,私もすでに古参メンバーの一人である.
私はここでVladからずい分いろいろなあだ名をもらった,破れ薬缶=基地外(crackpot),数髑髏新参者(Numskull Neophyte),グラフの魔術師(Magician of Graphs),恐れを知らぬサムライ学際戦士(theory-edge samurai warrior, surely frightened at nothing),位相同型住人槍のドン・キホーテ,(our resident tilter-at-isomorphisms don quixote)などなど.これらのあだ名を聞くだけでも,私がここでどんなハチャメチャな暴れ方をしていたかはご想像が付くのではなかろうか?theory-edge でようやくそれなりの実績が認められ安定した席次に着けるようになったのは,1年余を経過した2000年頃である→"great moments in theory-edge history".
Vladの口癖は「halfbaked ではダメだ!」というものだった.読者はここで多分このストーリイが前便の「ある仏蘭西料理店の店仕舞い」をきっちり参照していることに気付かれるに違いない.
これら創立メンバーの中の一人に,Daniel Pehoushek というウクライナ出身の男がいた.ウクライナと言えば,この他にAnatoly PlotnikovとStanislav Busyginがいる.元大学教授のAnatoly はその当時既に70歳に近い身で3人の娘を抱えウクライナの不況のどん底で四苦八苦していた.Stasは後に発奮してアメリカに移住し,どこかの大学に潜って働きながら正規の研究者コースを進むことになる.(包まずに言えば,50歳を越した私自身もそのような希望を持っていたのだが,挫折してしまった.伊能忠敬が昌平黌に学んだのは50歳になってからだし,イリノイ大学のLiu教授からは何時でもおいでなさいという招聘を受けていたのだが,私もどん底にいてアメリカに渡る「金」を作れなかった.) Danはその頃確かMITを卒業してアメリカに居住していたはずだ.Danは「世界最速の全文検索アルゴリズム」を開発したと豪語していたが,研究テーマとしては時間計算量ではなく,空間計算量(領域計算量)がPになるような問題領域(P領域問題)を追いかけていた.
←Anatoly D. Plotnikov : Anatolyは私の研究所で仕事がしたいと言ってきたが,私自身が食いはぐれていたのだから,どうにもならなかった.
彼(Dan)はまだ知られていなかった定理を一つ発見し,その証明を得てネット上で発表した.これはtheory-edgeで得られた始めての客観的な成果物である.Danは協力者を求めていて一時私を引き込もうとしたこともあるが,私は関心領域をあまり拡大するとまとめきれなくなることを恐れて乗らなかった.DanとVladはあまりうまくいっていなかった.「原因は?」と問われるとあまり明確には説明できない.Vladの完全主義がDanの中に潜むある種の好い加減な部分を許さなかったのではないか?という気もする.私自身もときにはDanにうっすらと疑問を感じるところもあったが,そのようなことは多かれ少なかれどのような場にも起こり得ることであろう.
何かの拍子でバトルが始まり,最終的にVladはDanをグループから追い出してしまった.Vladの攻撃(罵倒)パワーはすさまじく強力で,耐え切れずに脱落して行った人間は数えきれない.その中には私から見ても有り余る才能を持った間違いなく天才と呼べる男たちが何人も含まれる.私自身初期にはずい分攻撃を受けたが,ここを出たらもう行くところはないという想いで耐え抜いた.(私はディベートでVladに負けたことはない) まぁ,一時代昔の親方や兄弟子によるしごきみたいなものを想像してもらえればよい.しかし,このときはそれでは済まなかった.VladはDanの父親から受け取ったというメールを公表し,Danが以前分裂症で精神病院に入院したことがあるという病歴を公衆の前で暴露してしまったのである.これで,これまでVladの横暴を横目で見ながらなんとか我慢に我慢を重ねてきた多数の良識派の怒りが爆発した.
Vladの最大の関心事はグループのメンバー数を拡大することだった.ディスカッションの水準の低下を防止しようとする彼の涙ぐましい努力の最大の理由は,それによってアカデミーから来ているハイランクのメンバーが嫌気が差して散ってしまうことに対する恐れだったと言っても過言ではない.Vladは独裁者であったから,それに正面から批判を浴びせるときには身の危険を感じないわけにはゆかないのは当然である.Vladに対する攻撃の口火を切ったのは多分私だったと思う.沈黙を守ってきた良識派の面々がそれに同調し,結論を急げば「最終的にグループは2つに分裂した」.ただし分裂は排他的なものではなかったので,私を含む大方のメンバーは新しいグループに重複加入した.
Stanislav Busygin ↓
分派行動の頭になったのは,前出のStasである.ヤフーグループの中にStasを主宰者とするalgorithm-forgeという新しいメーリング・リストを作ることになった.algorithm-forgeでは,テクニカルな議論つまり,専門的で長文の綿密・詳細な部外者には退屈過ぎるような投稿も許されることになった.これまでtheory-edgeではそのような議論は抑圧され,場合によっては禁止されていた.投稿禁止と除名処分はこれまでと同様主宰者の専権とされたが,Stasは主宰者の地位に固執していないように見えたし,実際共同主宰を提案したりしていたので問題にならなかった.algorithm-forgeの設立は我々にとってある種のエクソダスの経験であったことは確かである.我々はようやく手に入れた新天地で解放の欣びを頒かち合い,握手を交わし肩を抱き合ってそれを確かめ合った.
それでは,皆が力を合わせて独裁者に抵抗し,ようやくにして勝ち取った独裁者のいない自由の天地,理想のメーリングリストの実現された地上天国が今どうなっているかを見ることにしよう.現在algorithm-forgeのメンバーは562人でtheory-edgeの1593人には遠く及ばない.メンバー数の多寡はもちろん問題ではない.が,問題はその内容である.algorithm-forgeではテクニカルな議論が許されるという特徴はまだ残っている.しかし,ほとんど常時シャッターが降りた状態になっていて,投稿は3ヶ月に一度くらいの超低水準に落ち込んだままだ.これは基本的に主宰者の資質による現象である.Stasは有能な研究者ではあるが,自分の持ち時間を削ってまでサービスをするつもりはなかった.一方,Vladはほとんどフルタイムでグループに奉仕し,メーリングリストへの情報注入に全時間を消費している.時間が経過してみると,Stasも結構権力者として振る舞うことが嫌いでないばかりか,時にはVladの上をゆくような態度に出ることもあるというのも見えて来た.
一般メンバーはこの状況に特に不満もないし,困ってもいない.なぜならコア・メンバーのほとんどは両方のグループに同時に属しているからである.つまり,2つのグループの使い分けが可能になっている.私は話が込み入ってくればalgorithm-forgeに移って議論を続行するし,何か成果を華々しくアナウンスしたいときには,オーディエンスの多いtheory-edgeで行なうことにしている.Stasはtheory-edgeに籍があり投稿することも可能だが,Vladは以前としてalgorithm-forgeからはパージされた状態になっている.Vladはこれまで何度もこの禁止を解除してくれるようStasに懇請しているが,おそらく永久追放のまま解除される日は来ないだろう.
ところで,このストーリイの教訓は何だろう?どうも竜頭蛇尾の話になってしまったような感じもするのだが,確かに世の中というのはこんなものかな?という感じもするのである.
←ワン・クリック!
by exod-US
| 2005-12-01 21:58
| 我が命運の尽きる日まで