2005年 10月 15日
究極のマネーロンダリングとしての小泉郵政改革――河宮・青木論文(2005-10-09)を読む
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郵貯・簡保の自然縮小と国家財政基盤の崩壊 【解題】
独立系メディアに発表された標題の論文の頭に付ける短いコメントのつもりだったのだが,文字数制限に引っかかって入らなくなってしまったので独立のテキストとして分離した.紹介文のつもりで書いているので,もとより本格的な評論ではない.論文はかなり長いので,こちらを一読されてから取り掛かるとよいかもしれない.論文は I 部,II 部,補論の3部からなる.(馬場英治)
【追記】Think About Japan ブログで,財務省のWEBサイトにある債務残高の国際比較(対GDP比)のグラフを紹介されている.ぜひこのグラフを一見して欲しい.日本の公的債務が国際比較してもダントツであることが分かる.しかも,これが1991年のバブル崩壊の直接の帰結であることも.つまり,日本は米国によって仕掛けられたバブル崩壊からストレートに奈落の底に転落し,なおその形勢は止まっていないことがグラフからも読み取れる.本論文では,その転落が完全な破滅の極に至るまで止まらないことを示唆している.(2005-10-18)
←ここでコーヒーブレーク!
I 部では,「郵政民営化による経済活性化」論が壮大な共同幻想であることが論証される.「郵政民営化によって官から民へ」という小泉・竹中構想は,そもそも在任4年間に146兆円の国債を発行し,民から資金を吸い上げてきた小泉政権の政策とまったく整合しないこと,538兆円の国債発行残高のうち,郵貯・簡保,年金などが213兆円,民間金融機関が229兆円分を保有してすでに飽和状態にあり,仮に民営化したとしても民から官へという流れは変えようもないこと,などがその理由として挙げられる.重要な点は,国債の最大の買い手であった郵政資金が売り手に回ったとき,国債の暴落はほとんど不可避と見られるところである.
戦前・戦後を通じ,郵貯・簡保は一貫して国債の消化機構であった.日清戦争から第二次大戦に至る戦費の調達,つまり戦時国債の購入に郵貯・簡保資金が総動員されたが,敗戦で戦時財投は返済不能になり,郵貯・簡保も破産する.筆者らはこの「破産」が開戦前,軍需投資にフル動員された時点ですでに運命づけられていたとする.つまり,政府・軍部は,国債償還不能を国民に告げることを回避し,戦争拡大という大バクチに賭けたと分析している.これは,小泉政権の郵政民営化が同じような破滅への道を辿りつつあることへの警告でもある.
敗戦後の政府累積債務の清算では,一見政府と国民は一心同体であるかのように錯覚するかもしれないが,そうではなかったようだ.政府の「債務切り捨て」は,旧植民地住民,零細預金者など弱いところに集中し,これらには全額ないし高率の不払いを課しているが,軍需産業など財投資金の借り手に対しては債権放棄(返還免除)という恩典を与えた.零細預金者に不利,高額預金者や財投受益者に有利な破綻処理である.(デジャビュ!どこかで見たことのある情景だ,それもつい最近...そう,これこそ小泉・竹中流不良債権処理である.)
(画像提供:雑談日記(徒然なるままに、。)昭和17年12月日本勧業銀行発行,「割増金附 戦時貯蓄債券 金拾五円 割引売出価格金拾円 一、此ノ債券ハ臨時資金調整法ノ規定ニ基キ発行シタルモノニシテ債券売出ニ依ル収入金ハ大蔵省預金部ニ於テ運用スルモノナリ 一、此ノ債券ハ金拾円ニテ売出シ償還ノ際金拾五円ヲ支払フモノナリ」と記載されている.
本論文では,「民営化」の核心は「損失転嫁」、累積赤字の「国有化!」にあるとする.旧国鉄への融資には郵貯・簡保資金が当てられたが,その累積損失部分を切り取って国鉄清算事業団として国有化し,その残債27兆円の穴埋めをしたのも郵貯・簡保資金である.仮にこの手法を赤字共産主義とでも呼んでおこう.黒字は全部私のもの,赤字は全部あなたのものというステキな取り決めである.これは有り体に言って,国家によるマネーロンダリングに他ならない.道路公団民営化でも,同じことが繰り返された.すなわち,37兆円の「有利子負債」は,「独立行政法人日本高速道路保有・債務返済機構」という「財投機関」に引き継がれる.
さらに国有化されなくてはならない不良債権は年金会計で140兆円,財投融資で270兆円は下回らないものと見られる.郵政改革はその額から言ってもマネーロンダリングの本命であり,命懸けの事業である.郵政事業の場合には,公社承継法人というのがそれに当たる.この法人は郵貯・簡保の旧契約とそれに見合う資産勘定(公社勘定)を持つものとされる.郵政改革の内閣基本方針では「公社勘定については、政府保証、その他の特典を維持する。」となっているので,旧債権は全額保証されるのだが,もちろんそれは預金者のためというより,新会社のオーナーに対する破格のサービスである.(公社勘定の損益は,新会社に帰属)
戦後再生した郵貯・簡保は,敗戦後の復興,大規模公共事業,財政赤字の補填,金融破綻の処理など多岐にわたる政府支出を賄い,60年代までは,社会的効用の高い都市基盤,産業基盤の整備に低利の融資金を供給する効果的な金融システムとして機能したと言える.この「実績」に立って「政官業」利権複合体が確立し,やがて壮大な「無駄遣いシステム」に肥大する.筆者らは,社会インフラの整備が進むにつれて公共建設部門に対する投融資は縮小されるべきであったとし,郵貯・簡保に裏支えされた国債の膨張の主因を過剰な税外収入を掌握した大蔵省の巨大公共事業への不要な投資にあったとしているが,どうであろうか?
もちろん,そのような一面があったことは否定できない事実ではあるが,反面,公共投資は本来が利益を見込めない非採算部門に対して行われるべきものであるから,必要な公共投資は【採算を度外視しても】行うべきものである.この意味で,有利子資金を使って公共事業を起こすというスキーム自体に問題の根があると考えるべきなのではないか?青木秀和氏は公共政策の専門家でおられるのだから,もう少し,踏み込んだ議論を望みたいところである.
私見では,バブル崩壊は米国の日本に対する敵対的経済干渉の直接の帰結であり,バブル崩壊後の国債残高の急激な膨張は,一つには不良債権処理と呼ばれる金融部門の特権的救済と外資への売り渡しのための私企業に対する巨額の公金注入に起因するものであり,一つには税収の落ち込みをカバーする緊急避難的性格もあったと言えるはずだが,この時点では公共事業への投資はむしろかなり抑制的なものになっていたのではないだろうか?公共事業に関わる癒着・利権問題とその事業の公共性とは必ずしも排他的なものではない.
ここでは持論を展開するつもりはないが,①政府貨幣の発行による公共政策の実現,②郵貯決済システムをリスクフリーな基幹インフラとして整備,の2点を代替案として挙げておきたい.郵貯決済システムを当座預金に限定することには合理性がある.もし,ゼロ金利の郵貯資金が十分な規模を持てば,政府貨幣発行の緊急性は緩和されるかもしれない.もちろん,この預金は預け入れ上限なしで100%政府保証されるべきものである.
II 部では,この「郵政民営化」が実は財政破綻の危機を秘めた「パンドラの箱」であることが解き明かされる.この主因は2000年に現象した郵貯の自然縮小である.国民はすでに1400兆円と言われる国民金融資産を食い潰すタケノコ生活に入っているのである.今後この縮小傾向は加速こそすれ減速する可能性はないと思われるが,10年余でおよそ100兆円の減少が見込まれよう.この払い戻し原資は①国債の売却,②財投預託金の返済しかない.
国債は低利であるから金利変動には弱い.郵貯はこれまで国債の最大の買い手であったが,これが売り手に回ることになれば市場は激震に襲われる.つまり,国債が暴落する.2001年の財政投融資改革で政府は預託金を清算し,預託制を廃止することを決めた.預託金残高は現在80兆円あり,これを30兆円づつ郵政公社に返済し,公社はその現金で国債を購入する.これで2008年3月には預託金は空っぽになり,公社の手元には国債だけが残る.ここに「小渕の呪い」と言われる小渕政権が1998年度に大量発行した10年国債の償還期限が迫る.これを消化するためにはさらに30兆円を超える借換債を発行するしかない.自己資本の過小も深刻な問題である.政府保証を付けるのなら民営化の意味はない.
財投預託金の清算とは究極のマネーロンダリングである.これが2008年(民営化ステップは2007年10月に始まる)に完了し,郵貯には国債という価格の変動する証券だけが残る.国民から預かった郵貯・簡保の330兆円のほぼ全額に当たる304兆円が国債に化けるのである※.総額3兆ドルに達する郵政資金は巨大過ぎて,郵政公社が,「BISの新規準に適う健全な金融機関」に転進する道は閉ざされている.郵貯がこれ以上国債を買えないとすれば,あとは日銀による国債の引受けしか残されていない.なぜ「郵政」はあらゆる国民の利益に反して「民営化」されなくてはならなかったのか?わざわざそのような修羅場に追い込まれなくてはならないのか?この「改革」で利益を得るのは誰か?答えはほとんど自明であろう.
※参照:郵政民営化の本質を問う 4.問題の焦点 (吉田繁治,SAFETY JAPAN 2005)
補論では,①高金利をエサに資金を郵貯に集めて国債を買い支え,さらにその国債の利払いを国債発行でまかなうというネズミ講システム,②預金保険機構が預金者の預かり金を破綻行の自己資金に(恒久的に)変えてしまうという横領行為,③破綻事業の民営化で行われた本来なら利払い停止されるべき不良債権の国有化というインチキ,などについて論じている.
歴史に学ぶとすれば,もっとも肝要な点は最大の債務者である政府の隠蔽体質の打破である.この教訓を汲みとることができなければ,いずれすべての損失を国民に負わせて破綻するしかないという本旨には,同意せざるを得ないだろう.歳出87兆円に対し44兆円の税収しかない国家が,1000兆円に達する超巨額の公的債務を貧者への過酷な増税で解決しようとすれば,民衆の怨嗟を押し潰す強力な治安システムが必要となるのもこれまた自明である.
【参照資料】
郵政民営化の詐術』が隠蔽したもの (toxandriaの日記)
郵政民営化解散の本質を問う (SAFETY JAPAN 2005 特別寄稿)
文責:馬場英治
【郵貯・簡保の自然縮小と国家財政基盤の崩壊】論文本体へ
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独立系メディアに発表された標題の論文の頭に付ける短いコメントのつもりだったのだが,文字数制限に引っかかって入らなくなってしまったので独立のテキストとして分離した.紹介文のつもりで書いているので,もとより本格的な評論ではない.論文はかなり長いので,こちらを一読されてから取り掛かるとよいかもしれない.論文は I 部,II 部,補論の3部からなる.(馬場英治)
【追記】Think About Japan ブログで,財務省のWEBサイトにある債務残高の国際比較(対GDP比)のグラフを紹介されている.ぜひこのグラフを一見して欲しい.日本の公的債務が国際比較してもダントツであることが分かる.しかも,これが1991年のバブル崩壊の直接の帰結であることも.つまり,日本は米国によって仕掛けられたバブル崩壊からストレートに奈落の底に転落し,なおその形勢は止まっていないことがグラフからも読み取れる.本論文では,その転落が完全な破滅の極に至るまで止まらないことを示唆している.(2005-10-18)
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I 部では,「郵政民営化による経済活性化」論が壮大な共同幻想であることが論証される.「郵政民営化によって官から民へ」という小泉・竹中構想は,そもそも在任4年間に146兆円の国債を発行し,民から資金を吸い上げてきた小泉政権の政策とまったく整合しないこと,538兆円の国債発行残高のうち,郵貯・簡保,年金などが213兆円,民間金融機関が229兆円分を保有してすでに飽和状態にあり,仮に民営化したとしても民から官へという流れは変えようもないこと,などがその理由として挙げられる.重要な点は,国債の最大の買い手であった郵政資金が売り手に回ったとき,国債の暴落はほとんど不可避と見られるところである.
戦前・戦後を通じ,郵貯・簡保は一貫して国債の消化機構であった.日清戦争から第二次大戦に至る戦費の調達,つまり戦時国債の購入に郵貯・簡保資金が総動員されたが,敗戦で戦時財投は返済不能になり,郵貯・簡保も破産する.筆者らはこの「破産」が開戦前,軍需投資にフル動員された時点ですでに運命づけられていたとする.つまり,政府・軍部は,国債償還不能を国民に告げることを回避し,戦争拡大という大バクチに賭けたと分析している.これは,小泉政権の郵政民営化が同じような破滅への道を辿りつつあることへの警告でもある.
敗戦後の政府累積債務の清算では,一見政府と国民は一心同体であるかのように錯覚するかもしれないが,そうではなかったようだ.政府の「債務切り捨て」は,旧植民地住民,零細預金者など弱いところに集中し,これらには全額ないし高率の不払いを課しているが,軍需産業など財投資金の借り手に対しては債権放棄(返還免除)という恩典を与えた.零細預金者に不利,高額預金者や財投受益者に有利な破綻処理である.(デジャビュ!どこかで見たことのある情景だ,それもつい最近...そう,これこそ小泉・竹中流不良債権処理である.)
(画像提供:雑談日記(徒然なるままに、。)昭和17年12月日本勧業銀行発行,「割増金附 戦時貯蓄債券 金拾五円 割引売出価格金拾円 一、此ノ債券ハ臨時資金調整法ノ規定ニ基キ発行シタルモノニシテ債券売出ニ依ル収入金ハ大蔵省預金部ニ於テ運用スルモノナリ 一、此ノ債券ハ金拾円ニテ売出シ償還ノ際金拾五円ヲ支払フモノナリ」と記載されている.
本論文では,「民営化」の核心は「損失転嫁」、累積赤字の「国有化!」にあるとする.旧国鉄への融資には郵貯・簡保資金が当てられたが,その累積損失部分を切り取って国鉄清算事業団として国有化し,その残債27兆円の穴埋めをしたのも郵貯・簡保資金である.仮にこの手法を赤字共産主義とでも呼んでおこう.黒字は全部私のもの,赤字は全部あなたのものというステキな取り決めである.これは有り体に言って,国家によるマネーロンダリングに他ならない.道路公団民営化でも,同じことが繰り返された.すなわち,37兆円の「有利子負債」は,「独立行政法人日本高速道路保有・債務返済機構」という「財投機関」に引き継がれる.
さらに国有化されなくてはならない不良債権は年金会計で140兆円,財投融資で270兆円は下回らないものと見られる.郵政改革はその額から言ってもマネーロンダリングの本命であり,命懸けの事業である.郵政事業の場合には,公社承継法人というのがそれに当たる.この法人は郵貯・簡保の旧契約とそれに見合う資産勘定(公社勘定)を持つものとされる.郵政改革の内閣基本方針では「公社勘定については、政府保証、その他の特典を維持する。」となっているので,旧債権は全額保証されるのだが,もちろんそれは預金者のためというより,新会社のオーナーに対する破格のサービスである.(公社勘定の損益は,新会社に帰属)
戦後再生した郵貯・簡保は,敗戦後の復興,大規模公共事業,財政赤字の補填,金融破綻の処理など多岐にわたる政府支出を賄い,60年代までは,社会的効用の高い都市基盤,産業基盤の整備に低利の融資金を供給する効果的な金融システムとして機能したと言える.この「実績」に立って「政官業」利権複合体が確立し,やがて壮大な「無駄遣いシステム」に肥大する.筆者らは,社会インフラの整備が進むにつれて公共建設部門に対する投融資は縮小されるべきであったとし,郵貯・簡保に裏支えされた国債の膨張の主因を過剰な税外収入を掌握した大蔵省の巨大公共事業への不要な投資にあったとしているが,どうであろうか?
もちろん,そのような一面があったことは否定できない事実ではあるが,反面,公共投資は本来が利益を見込めない非採算部門に対して行われるべきものであるから,必要な公共投資は【採算を度外視しても】行うべきものである.この意味で,有利子資金を使って公共事業を起こすというスキーム自体に問題の根があると考えるべきなのではないか?青木秀和氏は公共政策の専門家でおられるのだから,もう少し,踏み込んだ議論を望みたいところである.
私見では,バブル崩壊は米国の日本に対する敵対的経済干渉の直接の帰結であり,バブル崩壊後の国債残高の急激な膨張は,一つには不良債権処理と呼ばれる金融部門の特権的救済と外資への売り渡しのための私企業に対する巨額の公金注入に起因するものであり,一つには税収の落ち込みをカバーする緊急避難的性格もあったと言えるはずだが,この時点では公共事業への投資はむしろかなり抑制的なものになっていたのではないだろうか?公共事業に関わる癒着・利権問題とその事業の公共性とは必ずしも排他的なものではない.
ここでは持論を展開するつもりはないが,①政府貨幣の発行による公共政策の実現,②郵貯決済システムをリスクフリーな基幹インフラとして整備,の2点を代替案として挙げておきたい.郵貯決済システムを当座預金に限定することには合理性がある.もし,ゼロ金利の郵貯資金が十分な規模を持てば,政府貨幣発行の緊急性は緩和されるかもしれない.もちろん,この預金は預け入れ上限なしで100%政府保証されるべきものである.
II 部では,この「郵政民営化」が実は財政破綻の危機を秘めた「パンドラの箱」であることが解き明かされる.この主因は2000年に現象した郵貯の自然縮小である.国民はすでに1400兆円と言われる国民金融資産を食い潰すタケノコ生活に入っているのである.今後この縮小傾向は加速こそすれ減速する可能性はないと思われるが,10年余でおよそ100兆円の減少が見込まれよう.この払い戻し原資は①国債の売却,②財投預託金の返済しかない.
国債は低利であるから金利変動には弱い.郵貯はこれまで国債の最大の買い手であったが,これが売り手に回ることになれば市場は激震に襲われる.つまり,国債が暴落する.2001年の財政投融資改革で政府は預託金を清算し,預託制を廃止することを決めた.預託金残高は現在80兆円あり,これを30兆円づつ郵政公社に返済し,公社はその現金で国債を購入する.これで2008年3月には預託金は空っぽになり,公社の手元には国債だけが残る.ここに「小渕の呪い」と言われる小渕政権が1998年度に大量発行した10年国債の償還期限が迫る.これを消化するためにはさらに30兆円を超える借換債を発行するしかない.自己資本の過小も深刻な問題である.政府保証を付けるのなら民営化の意味はない.
財投預託金の清算とは究極のマネーロンダリングである.これが2008年(民営化ステップは2007年10月に始まる)に完了し,郵貯には国債という価格の変動する証券だけが残る.国民から預かった郵貯・簡保の330兆円のほぼ全額に当たる304兆円が国債に化けるのである※.総額3兆ドルに達する郵政資金は巨大過ぎて,郵政公社が,「BISの新規準に適う健全な金融機関」に転進する道は閉ざされている.郵貯がこれ以上国債を買えないとすれば,あとは日銀による国債の引受けしか残されていない.なぜ「郵政」はあらゆる国民の利益に反して「民営化」されなくてはならなかったのか?わざわざそのような修羅場に追い込まれなくてはならないのか?この「改革」で利益を得るのは誰か?答えはほとんど自明であろう.
※参照:郵政民営化の本質を問う 4.問題の焦点 (吉田繁治,SAFETY JAPAN 2005)
補論では,①高金利をエサに資金を郵貯に集めて国債を買い支え,さらにその国債の利払いを国債発行でまかなうというネズミ講システム,②預金保険機構が預金者の預かり金を破綻行の自己資金に(恒久的に)変えてしまうという横領行為,③破綻事業の民営化で行われた本来なら利払い停止されるべき不良債権の国有化というインチキ,などについて論じている.
歴史に学ぶとすれば,もっとも肝要な点は最大の債務者である政府の隠蔽体質の打破である.この教訓を汲みとることができなければ,いずれすべての損失を国民に負わせて破綻するしかないという本旨には,同意せざるを得ないだろう.歳出87兆円に対し44兆円の税収しかない国家が,1000兆円に達する超巨額の公的債務を貧者への過酷な増税で解決しようとすれば,民衆の怨嗟を押し潰す強力な治安システムが必要となるのもこれまた自明である.
【参照資料】
郵政民営化の詐術』が隠蔽したもの (toxandriaの日記)
郵政民営化解散の本質を問う (SAFETY JAPAN 2005 特別寄稿)
文責:馬場英治
【郵貯・簡保の自然縮小と国家財政基盤の崩壊】論文本体へ
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by exod-US
| 2005-10-15 00:46
| 郵政をユダヤ資本から取り戻せ