2005年 10月 09日
郵貯・簡保の自然縮小と国家財政基盤の崩壊 II 部
|
Ⅱ部 噴出する矛盾-
国債バブルの終焉
2000年以降、国債バブルを支えた郵貯・簡保が資金収縮に転じ、国債消化の機能を失った。この時期に「郵政民営化」を掲げる政権が生まれ、かつ有権者の支持を得た。郵貯・簡保の抑制・縮小は1980年代に行うべきであった。それなら先見の明を讃えるに値した。
ところが、377兆円(99年のピーク値)にも膨れ上がり、政府を筆頭とする融資先が不健全化したあとで、「民営化」と規模縮小を図るという。これがいかなる財政・金融危機をもたらすか、政府が真剣に検討したとは考えられない。
★11 郵貯・簡保の自然収縮
-虚構と化した「民営化」
郵政民営化を掲げて小泉政権が登場する前に、郵政経由で「官に回る資金」に異変が生じていた。郵貯・簡保が資金縮小に転じ、かつてのように赤字財政を補填できなくなったのである。この(1)「資金の縮小傾向」、(2)「過剰な国債保有」、そして(3)「自己資本の不足と高い不良債権比率」の3条件のために、21世紀初頭から「郵政民営化」は実質上不可能になっていた。そして、いまや「名目的な民営化」さえも危うくなった。以下に、この状況を検討してみよう。
(1) 1990年代を通して、郵貯・簡保の資金は、90年の189兆円から99年の377兆円まで、188兆円増えた。うち郵貯は90年に136兆円、1999年に260兆円の頂点に達し、以後毎年6~10兆円の割で減り始めた(この増え方にも問題があった-補論参照)。簡保は90年に53兆円、2001年に126兆円に達して漸減に転じた。今後、後10年余で100兆円以上減ると予測される。(年次データの表)
資金を得る政府側からいうと、郵政は90年に通算188兆円の収入をもたらし、反対に2000年代の十数年間に百数十兆円の支出要因になるだろう。1990年から2015年で通算すると、300兆円以上の収入減マイナスになる。政府財政はこの衝撃に耐えるであろうか。
戦後伸び続けた郵貯・簡保がなぜ縮小し始めたか。まず団塊世代が「貯蓄する階層」から「貯蓄を取り崩す階層」に移行しつつある。さらに、金利低下による利子再預金(元加利子という)の減少および不況長期化による所得減・払戻し増も響いている。簡保もまた、新契約による入金よりも契約者の死亡による支払いが増える時代になった。いまや郵政公社は資金の需要者であり、年10兆円規模で「払戻し原資」の現金が必要となった。
この変動は社会構造上に生じた傾向で、政策で動かせるものではない。そして、この変動が国家財政を根底から揺るがす。過去130年間、敗戦後の異常期を除いて、郵貯・簡保は「税外の政府収入」であった。しかし、「収入」扱いにできたのは増え続けたからである。逆に収縮に転じれば、「支出」になる。すなわち、預金高の純減分は「予算外の政府支出」になる。なぜそうなるか。
郵政公社は、預金者の預金払い戻しに現金を用意しておく必要がある。このとき、他の預金者から預かる現金を「払戻し原資」に回してすむならば差し当たり問題がない。しかし、新預金をすべて払い戻し原資に充ててもなお足りないときはどうするか。資産(主に国債)を売って現金にするか、借り手の財務省から預託金を返してもらうしかない。しかし、どちらも容易でない。
まず、郵貯・簡保の国債売却は破滅的である。国債の最大の買い手が、突然年10兆円の売り手に回ったら、国債暴落は必至である。日銀の国債買いつけ(買いオペ)が年14兆円であることを考えれば、郵政だけで買いオペの大半が食われる。
だから、総務省と財務省はたとえ「郵政を民営化しても、国債の管理を続ける」ことに合意した。これは、民営・郵政会社の資産を政府の管理下に置くことを意味する。「民への資金還流」は不可能、「民営化」は名目だけに止まらざるをえない。
他方、財務省は「預託金を現金で返す」義務を負っている。しかし、財務省には現金も資産もない。郵政からの預かり金は、国債購入や特殊法人への貸し出し、手元には借金の証文(債権)しかない。その借り手がみな赤字体質で財務省に金を返せない。
財務省はこの窮地をどう凌ぐのか。じつは財務省は、特異な借り換え方式(次節参照)を案出して当座を凌いできたが、その手法の有効期限が迫ってきた。そこに、政治日程から郵政民営化が重なっている。結局「債務不履行」を免れる方途が見出せない。
資金縮小は、政府・財務省にとっても郵政自体にとっても危険であり、両者が共倒れになりかねない。この危機が先行したために、いまや名目的な「民営化」でさえ危険を伴う。これが、「郵政民営化」に対する最も基本的な障害である。
(2) さらに、郵政民営化には、過剰な国債保有と関連した制度的障害がある。郵貯・簡保の「資産」は9割がたが国公債と財務省預託金(この金利は国債に連動)である。このように、低金利の債権を主たる資産とする金融機関は本質的に「不健全」である。なぜなら、わずかな金利上昇でも巨額の資産減価が起こるからである。
国際決済銀行(BIS)は近年この危険性を銀行評価に取り入れることを決めた。BISは従来国債保有に甘い評価を与えていたが、明確にそれを修正した。06年末にBISが導入する新国際ルールでは、「固定金利の債権を大量に抱える銀行」を規格外とみなし、「当局の監視・指導下」に置くよう要請する。
この新ルールのもとでは、郵政は「民営化・会社設立」と同時に「当局の監視・指導下」に置かれるであろう。しかし、歴代政府は、郵貯・簡保の資金を食い荒らし、国債だらけにした元凶である。この政府に監視・指導を任せられるものか。
(3) また、「自己資本」の不足も深刻である。「不足」などという生易しいものではない。郵貯・簡保には、財政赤字、採算なき公共事業、金融損失、旧国鉄その他の特殊法人の累積赤字など「官・民」のあらゆる損失が流入してきた。銀行業界が自己負担すべき預金保険機構の資金の不足(保険機関としての破綻)さえも郵貯・簡保が負担してきた。民営化するには、まずこれらの損失をきちんと補償しておく必要がある。
その上さらに総資産(郵貯214兆円、簡保119兆円)に見合う自己資本を「注入」してやる必要がある。郵政公社は総資産3兆ドル、世界最大の金融機関である。そこに溜まった累積損失を埋め、必要な自己資本を提供する機関が現れるか。ちなみに、CitigroupとみずほFG(最大級の銀行)の総資産が各1.3兆ドルの規模である。
いままで「官・民」を問わずあらゆる失敗に、郵貯・簡保が「救いの神」(公的資金の提供)を演じてきた。郵貯・簡保を「救済」する機関があるとすれば、その数倍の規模をもっていないと危ない。
結局、郵貯・簡保に見合う正味の自己資本調達は非現実的である。「政府保証」という空手形を発行するしかないのであろう。しかし、「世界最大の債務者」である日本政府が、自分の「債権者」でかつ世界最大の金融機関である「民営・郵政」の自己資本を保証するの変ではないか(これで「信用」が成り立つか)。
以上見てきたように、「郵政民営化」は実質上頓挫した。名目をどう取り繕っても、国営は続く。というより、国営としての存続も危うい。その責任は、「債権者」である郵政公社よりも「債務者」である政府にある。政府が無責任に債務を膨らませ、ついに「債務の返済」どころか「借り入れの継続」自体に困るようになったからである。
とくに、赤字財政補填の主役であった郵貯・簡保資金の新規供給が止まり、逆に資金を需要する側に回ったことは、政府・財務省にとって絶体絶命のくびきとなった。
郵政の「長期低落傾向」は、2000年の時点でほぼ確定していた。しかし、「財政危機」は即座には顕在化せず、辛うじて今日まで抑えられてきた。土壇場で危機を「先送り」したメカニズムはなんであったか。それはいつまでもつか。以下でこの問題を解いてみよう。
★12 危機先送りの「からくり」
-財務省による預託金の食いつぶし
郵貯・簡保の資金縮小という新事態で、財務省は「郵貯の純増で新規国債を消化する」という伝統的な手段を失った。これを放置すると、予算の執行や編成自体が危うくなる。そこで彼らは新しい手を案出した。
すなわち、郵貯・簡保に国債を直接に「自主運用」で買わせ、それに必要な資金を預託金から現金で提供(返済)する方法である。その「からくり」は、こうなっている。
1) 財務省は、財投の回収金その他で集めた現金を郵政への預託金返済に回す。
2) 郵貯・簡保は返済された預託金で新規国債を買う。その代金が財務省に行く。
3) 財務省はそれで財政赤字を補填する。
この操作で財務省は郵政に払った現金を丸々取り戻す。これは、まるで落語の「花見酒」商法である。こうして、財務省は国債を無事消化し、それで予算の編成・執行を行う。 他方、郵貯・簡保が失ったものはなにか。現金請求権(払戻し要求権)である。
この取引の意味はなにか。もともと財務省は郵貯・簡保から預った資金を「現金で返す責任」を負う(国債で返すことは許されない)。
郵貯・簡保の側からいうと、「現金を受け取る権利」がある。ところが、上記の「からくり」が一巡すると、郵貯・簡保は国債を得て(もたされて)、現金請求権(預託金回収権)を失う。財務省は国債を売って、現金を得る。この取引、つまり「現金化の権利」の譲渡は郵貯・簡保側にとって断然不利である。
なぜなら、国債の現金化には大きなリスクがあるためである。郵貯・簡保が手持ちの国債を現金にするとき、「満期までまつか、金利を割り引いて途中売却するか」しかない。「現金化」には時間コストないし金利変動リスクがかかる。
このリスク負担は、預託制のもとでは財務省にあったが、上記のからくりで郵貯・簡保の側に移される。現在のように引き出し超過(純減)のときには、このリスクは深刻な脅威である。新規の預金をすべて払戻金に回しても足りない。差額分を現金で用意する必要がある。
この換金コストがとくに郵貯・簡保にとって破滅的なものになる危険がある。なぜかというと、郵貯・簡保は国債購入の最大手である。ここが「買い」を止めるだけでも、国債市場に激震が起こる。まして、そこが国債の売りに回ったら、この売りに立ち向かう買い手が現れるはずがない。買い手がつかないと、現金にはできない。
他方、財務省の綱渡りにもタイムリミットがある。というのは、財務省が握る「預託金」の残高が底をつくからである。「からくり」が一巡するごとに、預託金が約30兆円減り、郵政の国債保有(直接保有分)が同額増える。今年預託金は80兆円を切った。あと2回半取り崩すと預託金高がゼロになる(預託金制度の清算)。
このとき、最後の財政トリックが封じられる。このトリックに頼って辛うじて抑えてきた矛盾-国債消化の資金源の枯渇-が一挙に露呈する。「最終期限」は2008年3月である。
折悪しく、この年は「小淵の呪い」の当年である。1998年度に小淵首相は国債発行を20兆円台から一挙に30兆円超に引き上げた。そのとき大量発行された10年国債の償還期限が来る。現在100兆円を超えて増え続ける借換債がこの年にさらに30兆円増える勘定である。
じつは「返済された預託金」こそ「官から民に回る」と試算された資金枠であった。これが、財務省の「からくり」財政でそっくり国債購入に向けられている。「郵政改革」は発進前から完全に「官-官」のたらい回し金融にロックされていることになる。
注 2001年の「財政投融資」改革で預託制が廃止され、郵貯資金も「自主運用」になった。この改革は郵政の自主性を高め、財務省の権限を縮小する「改革」、すなわち「郵政に有利な改革」と思われた。しかし、この財政トリックをみると、財務省が財投改革・預託制廃止をたくみに利用(悪用)した形である。
それでも郵政公社が財務省に唯々諾々と従うのは、「自主運用」になっても有利な運用先が見つからず、それを探す能力もないからである。このうえ「民営化」しても、運用能力が上がるとか投資環境が改善されるとは考えられない。
★まとめ
以上の考察からわかるように、「郵政民営化による経済活性化」論は現実の経済実態とかけ離れた願望にすぎない。しかし、なぜかこの言説が、政権首脳から、民主党を含む政界、マスコミ編集者、経済評論家、金融業を含む財界などを統べる壮大な「共同幻想」になった。今次選挙の結果は、この共同幻想が広範な有権者に拡がったことを示す。
じつは2000年以降、郵貯・簡保が資金縮小に転じ、「官」に資金を流すどころか、官(財務省)に「金を返せ」という側に回った。郵貯・簡保を「資金源」と見るのはもはや錯覚である。郵貯・簡保が、資金の供給者から返済資金の請求者に転化したことは、政府・財務省にとっては埋めようのない財政欠損になる。
さすがに財務省と総務省(郵政の所管省庁)は、この「共同幻想」には与していないようにみえる。しかし、彼らは小泉首相に諫言することも、危機の実態を国民に訴えることもしない。自分たちも責任を問われるからである。
財務省は、黙々と借り換えテクニックを駆使して、切迫する財政破綻を先送りしてきた。しかし結局、郵政資金の構造的な縮小にもとづく財政欠損を穴埋めすることはできなかった。財務省の財政アクロバットは「2008年の壁」を超えられないであろう。
根本的な問題は、債務者である政府の「能力」、それも債務返済の資力というより借金を続ける能力にある。これが破断限界に達したのである。これに比べると、政府の「意図」、郵貯・簡保の改組いかんやその際の政府債務の処理法は二次的な問題である。
実際、政府が対郵政の債務をまともに返済しようとすれば、財政が破綻する。しかし、逆に政府が対郵政の債務切り捨て(国債の政府管理はその第一歩)を図れば、金融危機の発現になる。どちらも、歴代政府の「国債バブル」が弾けるという点では同じで、どちらから始まっても金融・財政の連鎖破綻になる。
郵政公社が、「BISの新規準に適う健全な金融機関」になる道ははじめから閉ざされていた。日本政府という巨大な債務者を抱えていることが致命的である(巨大債務はつねに不良債務である)。だから、郵政「民営化」には、「郵政の保有する国債を政府が管理する」(自由な処分を認めない)という条件がつく。これは、市場任せでは「国債価値の維持を保証できない」という政府の告白である。
郵政民営化の国会審議で郵貯・簡保の先行きが不透明になり、新預金・新規契約が止まるとすると、それだけで連鎖破綻への扉が開く。政府は、財政・金融ともに「郵政」に頼り切ってきたから、郵政簡保の単純な資金縮小にも耐ええない。この点でいうと、民主党の「限度額切り下げ」のほうがより過激な「改革」であり、財政破綻を一挙に加速しかねない(「限度額超過分を国債に振り替える」というのでは、「官」への資金固定を深めるだけである)。
世界最大の債務者である日本政府が、自らの債務履行を棚上げにして、債権者である郵政を「悪玉」扱いにし、その改組・解体に狂奔している。あたかも財政悪化・経済停滞の責任が政府ではなく、政府に資金を供給した郵政にある、といわんばかりである。
←郵貯資産を守るために,ワンクリック!
(補論に続く)
国債バブルの終焉
2000年以降、国債バブルを支えた郵貯・簡保が資金収縮に転じ、国債消化の機能を失った。この時期に「郵政民営化」を掲げる政権が生まれ、かつ有権者の支持を得た。郵貯・簡保の抑制・縮小は1980年代に行うべきであった。それなら先見の明を讃えるに値した。
ところが、377兆円(99年のピーク値)にも膨れ上がり、政府を筆頭とする融資先が不健全化したあとで、「民営化」と規模縮小を図るという。これがいかなる財政・金融危機をもたらすか、政府が真剣に検討したとは考えられない。
★11 郵貯・簡保の自然収縮
-虚構と化した「民営化」
郵政民営化を掲げて小泉政権が登場する前に、郵政経由で「官に回る資金」に異変が生じていた。郵貯・簡保が資金縮小に転じ、かつてのように赤字財政を補填できなくなったのである。この(1)「資金の縮小傾向」、(2)「過剰な国債保有」、そして(3)「自己資本の不足と高い不良債権比率」の3条件のために、21世紀初頭から「郵政民営化」は実質上不可能になっていた。そして、いまや「名目的な民営化」さえも危うくなった。以下に、この状況を検討してみよう。
(1) 1990年代を通して、郵貯・簡保の資金は、90年の189兆円から99年の377兆円まで、188兆円増えた。うち郵貯は90年に136兆円、1999年に260兆円の頂点に達し、以後毎年6~10兆円の割で減り始めた(この増え方にも問題があった-補論参照)。簡保は90年に53兆円、2001年に126兆円に達して漸減に転じた。今後、後10年余で100兆円以上減ると予測される。(年次データの表)
資金を得る政府側からいうと、郵政は90年に通算188兆円の収入をもたらし、反対に2000年代の十数年間に百数十兆円の支出要因になるだろう。1990年から2015年で通算すると、300兆円以上の収入減マイナスになる。政府財政はこの衝撃に耐えるであろうか。
戦後伸び続けた郵貯・簡保がなぜ縮小し始めたか。まず団塊世代が「貯蓄する階層」から「貯蓄を取り崩す階層」に移行しつつある。さらに、金利低下による利子再預金(元加利子という)の減少および不況長期化による所得減・払戻し増も響いている。簡保もまた、新契約による入金よりも契約者の死亡による支払いが増える時代になった。いまや郵政公社は資金の需要者であり、年10兆円規模で「払戻し原資」の現金が必要となった。
この変動は社会構造上に生じた傾向で、政策で動かせるものではない。そして、この変動が国家財政を根底から揺るがす。過去130年間、敗戦後の異常期を除いて、郵貯・簡保は「税外の政府収入」であった。しかし、「収入」扱いにできたのは増え続けたからである。逆に収縮に転じれば、「支出」になる。すなわち、預金高の純減分は「予算外の政府支出」になる。なぜそうなるか。
郵政公社は、預金者の預金払い戻しに現金を用意しておく必要がある。このとき、他の預金者から預かる現金を「払戻し原資」に回してすむならば差し当たり問題がない。しかし、新預金をすべて払い戻し原資に充ててもなお足りないときはどうするか。資産(主に国債)を売って現金にするか、借り手の財務省から預託金を返してもらうしかない。しかし、どちらも容易でない。
まず、郵貯・簡保の国債売却は破滅的である。国債の最大の買い手が、突然年10兆円の売り手に回ったら、国債暴落は必至である。日銀の国債買いつけ(買いオペ)が年14兆円であることを考えれば、郵政だけで買いオペの大半が食われる。
だから、総務省と財務省はたとえ「郵政を民営化しても、国債の管理を続ける」ことに合意した。これは、民営・郵政会社の資産を政府の管理下に置くことを意味する。「民への資金還流」は不可能、「民営化」は名目だけに止まらざるをえない。
他方、財務省は「預託金を現金で返す」義務を負っている。しかし、財務省には現金も資産もない。郵政からの預かり金は、国債購入や特殊法人への貸し出し、手元には借金の証文(債権)しかない。その借り手がみな赤字体質で財務省に金を返せない。
財務省はこの窮地をどう凌ぐのか。じつは財務省は、特異な借り換え方式(次節参照)を案出して当座を凌いできたが、その手法の有効期限が迫ってきた。そこに、政治日程から郵政民営化が重なっている。結局「債務不履行」を免れる方途が見出せない。
資金縮小は、政府・財務省にとっても郵政自体にとっても危険であり、両者が共倒れになりかねない。この危機が先行したために、いまや名目的な「民営化」でさえ危険を伴う。これが、「郵政民営化」に対する最も基本的な障害である。
(2) さらに、郵政民営化には、過剰な国債保有と関連した制度的障害がある。郵貯・簡保の「資産」は9割がたが国公債と財務省預託金(この金利は国債に連動)である。このように、低金利の債権を主たる資産とする金融機関は本質的に「不健全」である。なぜなら、わずかな金利上昇でも巨額の資産減価が起こるからである。
国際決済銀行(BIS)は近年この危険性を銀行評価に取り入れることを決めた。BISは従来国債保有に甘い評価を与えていたが、明確にそれを修正した。06年末にBISが導入する新国際ルールでは、「固定金利の債権を大量に抱える銀行」を規格外とみなし、「当局の監視・指導下」に置くよう要請する。
この新ルールのもとでは、郵政は「民営化・会社設立」と同時に「当局の監視・指導下」に置かれるであろう。しかし、歴代政府は、郵貯・簡保の資金を食い荒らし、国債だらけにした元凶である。この政府に監視・指導を任せられるものか。
(3) また、「自己資本」の不足も深刻である。「不足」などという生易しいものではない。郵貯・簡保には、財政赤字、採算なき公共事業、金融損失、旧国鉄その他の特殊法人の累積赤字など「官・民」のあらゆる損失が流入してきた。銀行業界が自己負担すべき預金保険機構の資金の不足(保険機関としての破綻)さえも郵貯・簡保が負担してきた。民営化するには、まずこれらの損失をきちんと補償しておく必要がある。
その上さらに総資産(郵貯214兆円、簡保119兆円)に見合う自己資本を「注入」してやる必要がある。郵政公社は総資産3兆ドル、世界最大の金融機関である。そこに溜まった累積損失を埋め、必要な自己資本を提供する機関が現れるか。ちなみに、CitigroupとみずほFG(最大級の銀行)の総資産が各1.3兆ドルの規模である。
いままで「官・民」を問わずあらゆる失敗に、郵貯・簡保が「救いの神」(公的資金の提供)を演じてきた。郵貯・簡保を「救済」する機関があるとすれば、その数倍の規模をもっていないと危ない。
結局、郵貯・簡保に見合う正味の自己資本調達は非現実的である。「政府保証」という空手形を発行するしかないのであろう。しかし、「世界最大の債務者」である日本政府が、自分の「債権者」でかつ世界最大の金融機関である「民営・郵政」の自己資本を保証するの変ではないか(これで「信用」が成り立つか)。
以上見てきたように、「郵政民営化」は実質上頓挫した。名目をどう取り繕っても、国営は続く。というより、国営としての存続も危うい。その責任は、「債権者」である郵政公社よりも「債務者」である政府にある。政府が無責任に債務を膨らませ、ついに「債務の返済」どころか「借り入れの継続」自体に困るようになったからである。
とくに、赤字財政補填の主役であった郵貯・簡保資金の新規供給が止まり、逆に資金を需要する側に回ったことは、政府・財務省にとって絶体絶命のくびきとなった。
郵政の「長期低落傾向」は、2000年の時点でほぼ確定していた。しかし、「財政危機」は即座には顕在化せず、辛うじて今日まで抑えられてきた。土壇場で危機を「先送り」したメカニズムはなんであったか。それはいつまでもつか。以下でこの問題を解いてみよう。
★12 危機先送りの「からくり」
-財務省による預託金の食いつぶし
郵貯・簡保の資金縮小という新事態で、財務省は「郵貯の純増で新規国債を消化する」という伝統的な手段を失った。これを放置すると、予算の執行や編成自体が危うくなる。そこで彼らは新しい手を案出した。
すなわち、郵貯・簡保に国債を直接に「自主運用」で買わせ、それに必要な資金を預託金から現金で提供(返済)する方法である。その「からくり」は、こうなっている。
1) 財務省は、財投の回収金その他で集めた現金を郵政への預託金返済に回す。
2) 郵貯・簡保は返済された預託金で新規国債を買う。その代金が財務省に行く。
3) 財務省はそれで財政赤字を補填する。
この操作で財務省は郵政に払った現金を丸々取り戻す。これは、まるで落語の「花見酒」商法である。こうして、財務省は国債を無事消化し、それで予算の編成・執行を行う。 他方、郵貯・簡保が失ったものはなにか。現金請求権(払戻し要求権)である。
この取引の意味はなにか。もともと財務省は郵貯・簡保から預った資金を「現金で返す責任」を負う(国債で返すことは許されない)。
郵貯・簡保の側からいうと、「現金を受け取る権利」がある。ところが、上記の「からくり」が一巡すると、郵貯・簡保は国債を得て(もたされて)、現金請求権(預託金回収権)を失う。財務省は国債を売って、現金を得る。この取引、つまり「現金化の権利」の譲渡は郵貯・簡保側にとって断然不利である。
なぜなら、国債の現金化には大きなリスクがあるためである。郵貯・簡保が手持ちの国債を現金にするとき、「満期までまつか、金利を割り引いて途中売却するか」しかない。「現金化」には時間コストないし金利変動リスクがかかる。
このリスク負担は、預託制のもとでは財務省にあったが、上記のからくりで郵貯・簡保の側に移される。現在のように引き出し超過(純減)のときには、このリスクは深刻な脅威である。新規の預金をすべて払戻金に回しても足りない。差額分を現金で用意する必要がある。
この換金コストがとくに郵貯・簡保にとって破滅的なものになる危険がある。なぜかというと、郵貯・簡保は国債購入の最大手である。ここが「買い」を止めるだけでも、国債市場に激震が起こる。まして、そこが国債の売りに回ったら、この売りに立ち向かう買い手が現れるはずがない。買い手がつかないと、現金にはできない。
他方、財務省の綱渡りにもタイムリミットがある。というのは、財務省が握る「預託金」の残高が底をつくからである。「からくり」が一巡するごとに、預託金が約30兆円減り、郵政の国債保有(直接保有分)が同額増える。今年預託金は80兆円を切った。あと2回半取り崩すと預託金高がゼロになる(預託金制度の清算)。
このとき、最後の財政トリックが封じられる。このトリックに頼って辛うじて抑えてきた矛盾-国債消化の資金源の枯渇-が一挙に露呈する。「最終期限」は2008年3月である。
折悪しく、この年は「小淵の呪い」の当年である。1998年度に小淵首相は国債発行を20兆円台から一挙に30兆円超に引き上げた。そのとき大量発行された10年国債の償還期限が来る。現在100兆円を超えて増え続ける借換債がこの年にさらに30兆円増える勘定である。
じつは「返済された預託金」こそ「官から民に回る」と試算された資金枠であった。これが、財務省の「からくり」財政でそっくり国債購入に向けられている。「郵政改革」は発進前から完全に「官-官」のたらい回し金融にロックされていることになる。
注 2001年の「財政投融資」改革で預託制が廃止され、郵貯資金も「自主運用」になった。この改革は郵政の自主性を高め、財務省の権限を縮小する「改革」、すなわち「郵政に有利な改革」と思われた。しかし、この財政トリックをみると、財務省が財投改革・預託制廃止をたくみに利用(悪用)した形である。
それでも郵政公社が財務省に唯々諾々と従うのは、「自主運用」になっても有利な運用先が見つからず、それを探す能力もないからである。このうえ「民営化」しても、運用能力が上がるとか投資環境が改善されるとは考えられない。
★まとめ
以上の考察からわかるように、「郵政民営化による経済活性化」論は現実の経済実態とかけ離れた願望にすぎない。しかし、なぜかこの言説が、政権首脳から、民主党を含む政界、マスコミ編集者、経済評論家、金融業を含む財界などを統べる壮大な「共同幻想」になった。今次選挙の結果は、この共同幻想が広範な有権者に拡がったことを示す。
じつは2000年以降、郵貯・簡保が資金縮小に転じ、「官」に資金を流すどころか、官(財務省)に「金を返せ」という側に回った。郵貯・簡保を「資金源」と見るのはもはや錯覚である。郵貯・簡保が、資金の供給者から返済資金の請求者に転化したことは、政府・財務省にとっては埋めようのない財政欠損になる。
さすがに財務省と総務省(郵政の所管省庁)は、この「共同幻想」には与していないようにみえる。しかし、彼らは小泉首相に諫言することも、危機の実態を国民に訴えることもしない。自分たちも責任を問われるからである。
財務省は、黙々と借り換えテクニックを駆使して、切迫する財政破綻を先送りしてきた。しかし結局、郵政資金の構造的な縮小にもとづく財政欠損を穴埋めすることはできなかった。財務省の財政アクロバットは「2008年の壁」を超えられないであろう。
根本的な問題は、債務者である政府の「能力」、それも債務返済の資力というより借金を続ける能力にある。これが破断限界に達したのである。これに比べると、政府の「意図」、郵貯・簡保の改組いかんやその際の政府債務の処理法は二次的な問題である。
実際、政府が対郵政の債務をまともに返済しようとすれば、財政が破綻する。しかし、逆に政府が対郵政の債務切り捨て(国債の政府管理はその第一歩)を図れば、金融危機の発現になる。どちらも、歴代政府の「国債バブル」が弾けるという点では同じで、どちらから始まっても金融・財政の連鎖破綻になる。
郵政公社が、「BISの新規準に適う健全な金融機関」になる道ははじめから閉ざされていた。日本政府という巨大な債務者を抱えていることが致命的である(巨大債務はつねに不良債務である)。だから、郵政「民営化」には、「郵政の保有する国債を政府が管理する」(自由な処分を認めない)という条件がつく。これは、市場任せでは「国債価値の維持を保証できない」という政府の告白である。
郵政民営化の国会審議で郵貯・簡保の先行きが不透明になり、新預金・新規契約が止まるとすると、それだけで連鎖破綻への扉が開く。政府は、財政・金融ともに「郵政」に頼り切ってきたから、郵政簡保の単純な資金縮小にも耐ええない。この点でいうと、民主党の「限度額切り下げ」のほうがより過激な「改革」であり、財政破綻を一挙に加速しかねない(「限度額超過分を国債に振り替える」というのでは、「官」への資金固定を深めるだけである)。
世界最大の債務者である日本政府が、自らの債務履行を棚上げにして、債権者である郵政を「悪玉」扱いにし、その改組・解体に狂奔している。あたかも財政悪化・経済停滞の責任が政府ではなく、政府に資金を供給した郵政にある、といわんばかりである。
←郵貯資産を守るために,ワンクリック!
(補論に続く)
by exod-US
| 2005-10-09 15:30
| 郵政をユダヤ資本から取り戻せ