2005年 09月 29日
初めから巨大で大衆的な武装闘争としてイラク・レジスタンスが始まったのはどうしてか?
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ここに掲載するのは,この時期,アラブ・ネットに発表されたイラク・レジスタンスから「イラク国民との連帯会議」に向けたアッピールである.この会議が開催された場所・日時は不明であるが,一読の価値のある文献であると思うので紹介したい.アッピールにはイラク友好と平和・連帯機構議長サラハ・アル・モフタールの署名がある.
サラハ・アル・モフタール氏(61歳)はフセイン政権で国連へのイラク代表団で働き,アラブ連盟の情報担当事務局長補佐,駐インド大使,駐ベトナム大使などを歴任している.現在はイエメンに住んでいる.アラブ・モニターが行ったモフタール氏とのインタビュー記事参照.
転載:http://www.geocities.jp/uruknewsjapan/2005Salah_Al_Mukhtar_29092005.html
☆イラク国民との連帯会議への挨拶 (全訳)
サラハ・アル・モフタール
イラク友好と平和・連帯機構議長
2005年9月29日
http://www.albasrah.net/ar_articles_2005/1005/mukht_051005.htm
親愛なる友人および同志の皆さん
まず初めに、アメリカによる植民地的イラク占領に反対して戦うイラク国民とともに、この連帯会議を組織していただいたことに感謝したい。私たちはイラク国民に対する占領軍の犯罪と、占領勢力および傭兵たちによる全イラクの破壊を暴露する権利を否定されてきました。アメリカ政府は西側メディアとアラブ系メディアの双方に命令し、あるいは圧力をかけて、アメリカとイギリスがイラクにおいてなした上述の犯罪を暴露する機会をバース党とナショナリストに与えないようにしてきたので、皆さんの準備した会議がイラクの状況を伝えるための大きな機会となっています。
友人および同志の皆さん
この2年半にわたってイラクがこうむった苦難の根源は、古典的なタイプの植民地主義であり、イラクに対する血なまぐさい軍事侵略の形をとって、今までに約25万人の人間を殺してきました。また、空爆によって、あるいは全市・全村ぐるみ破壊攻撃によって、住民はそれらの都市や村落を離れるように強要され、食料も水も電気その他の基本的な必需品や公共サービスもないまま、砂漠での生活を強いられています。
全市ぐるみ破壊の好例は、ファルージャその他の都市で起こった事態です。大虐殺のもう一つの手段は、たとえ相手が無実の人々であったとしても、アメリカ兵がいわゆる「テロリスト」だろうと考えたイラク人市民に対しては、手当たり次第に発砲する許可をアメリカ兵に公然と認めたことです。そうして最後的に、何十もの米軍収容所で拷問されて死に至った者もふくめて、25万人が殺害されたのです。
イラク侵攻の最初の時期、占領軍が外国人傭兵をけしかけて、政府中央官庁と経済機構、保健所、治安機構、報道・情報機関などイラクのあらゆる国家機構を破壊し火を放ったときに、占領の植民地的な性格が明らかになりました。破壊をまぬがれたのは唯一石油省のみで、アメリカ軍は外国人傭兵と訓練したギャング集団から石油省だけを守ったのです。その前には、イラクの領土を占領した最初の日に、アメリカ軍はイラク南部の油田地帯を支配しました。その地域にある軍事目標を占拠したり破壊するよりも前のことです。
親愛なる友人のみなさん
素早いイラク占領を可能にするために最大限の兵力を投じ、侵攻過程では毎日何百人ものイラク人市民を殺害したことによって明らかになった占領の植民地的性格は、これこそまさに、イラク人の報復を決定づけるものとなりました。占領軍の投入した最大規模の兵力は、イラク人武装レジスタンスを最大規模の勢力に育てることになったのです。バグダッド占領のあと、イラク最後の選択となった武装レジスタンスは、最初から大規模なものとしてスタートし、イラクの北から南まで、東から西の辺境地帯まで、ほとんどの都市と村落を網羅するものとなったのでした。
おそらく皆さんはこう尋ねるでしょう--最初は人々の支持と構成メンバーを徐々に増やしていくというゲリラ戦術を採用するというのでなく、初めから巨大で大衆的な武装闘争としてイラク・レジスタンスが始まったのはどうしてなのか? このイラク武装レジスタンスのユニークな特徴について説明しましょう。
イラク・レジスタンスの最も顕著でユニークな特徴は、占領と戦う準備の整った大量の大衆的な組織が、イラクのいたるところに即座に姿を現したことです。バグダッドが占領された日、フセイン大統領の像倒壊を報道したハリウッド映画のような展開とは別に、アメリカ軍は恐るべきレジスタンスに直面し、バグダッド市内でも少なくとも4ヶ所で大規模な戦闘が発生しました。
バース党員は地下に潜るように命令を受けとると、即座に武装レジスタンスを開始し、戦争の第2幕すなわちゲリラ戦術を開始しました。歴史的な教訓を皆さんに思い起こしながら、イラク・レジスタンスのこのユニークな特徴とゲリラ戦術の採用に注目してください。もし皆さんが近代史に目をむけるならば、外国の占領に対する武装レジスタンスは、限られた数の自由の戦士によって展開される攻撃から、さらに複雑で大規模な軍事作戦へと段階的に始まっていることに気づくでしょう。
武装レジスタンスの拡大は、その宣伝にも依存していますた。というのは、敵の軍事的に武装した部隊を攻撃することによって、自由の戦士がますます人々の認識にのぼるようになり、敵に大きな損失を与えるという意味です。そうすることによって、人々が武装レジスタンスに合流し始め、一歩一歩、そして何年かたつと、武装レジスタンスが武装革命に成長転化するのです。この歴史的事実は中国、キューバ、パレスチナの革命にも適用されたはずです。
しかしイラクでは、私たちはそれと異なる話を知っています--武装レジスタンスは侵略される何年も前に準備されていて、実際に、1991年の侵略(=いわゆる湾岸戦争)の後に大きな労力を払って、バース党の義勇軍であるイラク国民軍がゲリラ戦術に関する集中的かつ専門的軍事訓練を受け、そのほかに、バース党は侵略に備えてフェダイン・サダムと呼ばれる新組織を創設して、250万人以上の若者をそのメンバーにしました。最後にバース党は700万人のメンバーからなる新しい軍隊として、訓練を受けた国民軍としては最大規模のエルサレム軍を創設しました。
バース党はいかなる外国にも依存しないですむように、外部から何らの支援を受けなくとも10年間戦うのに十分な弾薬とともに、何百万丁もの銃をイラク国民に分散し、格納庫のほかにも、秘密の兵器庫に蓄えたのでした。バース党は地下で多くの科学者と軍の専門的な司令官を兵器生産と弾薬製造、兵器の修理に割り当てました。
親愛なる友人の皆さん
イラクが侵略を受けた場合には、訓練を受けてゲリラ戦を始める準備をしたイラクのおよそ1000万市民のなかから、イラク指導部は高度に洗練された精鋭を選出し、侵略から間を置かずに大衆的な武装レジスタンスを始められるようにしました。イラク人の革命的運動が小さな部隊による小規模かつ限定的な攻撃から始まるのでなく、占領直後の数日から大規模な軍事作戦をともなって始まった理由がここにあります。この事実は、イラク人はアメリカ軍を花束を持って歓迎すると考えていたアメリカ政府にとって、最大のショックと驚きでした。1年もしないうちに、イラク武装レジスタンスはイラクの主要都市を占領者に敵意を抱き武装レジスタンスの自由の戦士には好意を持つようにさせることによって、それらの諸都市をほとんど解放しました。
そのようなレジスタンスの支配をものがたる最高の例は、アメリカ軍司令部や米国大使館、バグダッド傀儡(かいらい)政府などが位置するいわゆる「グリーン・ゾーン」です。アメリカ人と傀儡勢力は、グリーン・ゾーンの外には出ることができず、アメリカ軍の命令はイラクにおけるどの地域にも10分以上滞在してはならないとしています。その理由は、レジスタンスの情報収集機関がレジスタンスの中央指導部に通知し、米軍だけに限定した攻撃がおこなわれるからです。
同志ならびに友人の皆さん
数ヶ月後には、侵略前に創設された元からの組織も合流したことにより、あるいは旧来の組織とともに占領者と肩を並べて戦うために新しい組織が編成されたことにより、何千人ものイラク人が武装レジスタンスに参加しました。したがって武装レジスタンスは当面、バース党のレジスタンスとして始まったという事実にもかかわらず、すべてのイラク人、アラブ人、クルド人、トルコメン、シーア、スンニ、さらにはナショナリスト、左翼、イスラム主義者、部族指導者などを代表するものとなっているのです。この事実は、イラク・レジスタンスが国民的運動であり、生まれたときからあらゆ国民政党、すべての宗派、すべての民族、すべての宗教を代表していることを意味しています。
親愛なる友人の皆さん
最近になってアメリカ合衆国の当局筋と多くの政府高官は、米国議会のテッド・ケネディーが昨年語っていたように、イラク侵略は大きな間違いであり、おそらくはアメリカ史上最悪の誤りであったと認めはじめています。数日前にはマイヤー将軍(米統合参謀本部議長/訳註:最近退任した)が、イラク人の武装レジスタンスを打ち負かすことは第二次世界大戦での勝利よりも重要であり、イラク戦争はベトナム戦争よりも重要になっていると発言しました。
イラクにおけるアメリカの危機を描きあげるためには、私たちはマデリーン・オルブライト夫人(元・米国務長官)が同じく数日前に言ったこと--イラクでの陰鬱(いんうつ)な日々を覚悟しなければならない--を思い起こさなければなりません。そこで重要になってくる疑問はこうです-- なぜ米軍トップの将軍や元政府高官たちはこんなに騒々しくわめくのでしょうか?
この回答はひじょうに単純であり、ひじょうに明瞭です。イラクの武装闘争は最終段階にたちいたり、この局面では占領者は軍の全面崩壊に直面するとともに、特にイラクから全面撤退するというイラク・レジスタンス側の条件を無条件に受け入れなければならないのです。
同志ならびに友人の皆さん
イラク・レジスタンスがもたらす歴史的勝利の陰に隠されている秘密はなんでしょう? さしあたってイラク国民の圧倒的多数が限りなくレジスタンスを支援しているという事実を脇に置くとしても、イラク・レジスタンスの勝利の陰に隠された重要な理由を2つ指摘しなければなりません。
第1に、前もって準備されていたレジスタンスは、特に侵略の2年前に、米国の財政を可能な限りイラクで破綻させることを基本とした戦略を採用しました。どうあってもこの戦争の財政的コストを保証するために、イラクに駐留する米軍はアメリカ市民の税金によってまかなわれることになり、それはイラク侵略がイラクから巨額の金銭と利益を略奪するかわりに大変な重荷になるということを意味します。この計画のもう1つの側面は、石油を系統的に輸送するパイプラインを攻撃することによって、アメリカ合衆国にイラクの油田を開発させないというものです。
イラク・レジスタンスの勝利の陰に隠された重要な理由の第2は、おそらく米国がイラク・レジスタンスと戦うために、自国軍兵士を守ろうとしてデッチあげるであろうイラク人の盾(たて)--例えば新しい軍隊、新しい治安部隊、新しい警察といったアメリカ軍の人的犠牲を最小限におさえる目的のためのもの--を粉砕すると決めたことです。なぜなら、アメリカ軍兵士を殺傷することは、徐々にアメリカ本国内で一般国民を戦争に反対する方向へむかわせることになるでしょう。
イラク現地に目を向けると、民間企業の社員といった別名でイラクに招き入れられた外国人傭兵の主要組織を粉砕するかたわらで、イラク・レジスタンスが上述のようなイラク人の武装部隊を首尾良く中立化させ弱体化させてきたことに皆さんは気づくでしょう。米国にイラクの石油を財源として使わせないようにすることによって、またアメリカ軍に甚大な犠牲を与えることによって、イラク・レジスタンスは米軍兵士の士気と米国の財源を確実に崩壊させてきました。
親愛なる友人の皆さん
これまで述べてきた事実を考慮すれば、イラク・レジスタンスはアメリカ軍と傀儡(かいらい)政府に対する軍事作戦を強化・拡大して、占領体制の崩壊の時を引き寄せてきました。この展開の過程で、武装レジスタンスは主要なレジスタンス組織の統一を宣言し、主だったレジスタンス運動の統一指導部を確立し、イザット・イブラヒムをイラク・レジスタンスの野戦司令官として選出しました。
その一方で、レジスタンスは解放後のイラク政府が連立政権となり、武装レジスタンスに参加し、これを支持している国民的指導者と宗教指導者、部族指導者に加えて、現在の武装闘争に参加しているすべての組織を代表するものとなります。解放の2年後に、イラクの新政府を選出する総選挙の自由投票がおこなわれます。
皆さんにお伝えしたいことは、武装レジスタンスはイラクにおける主要勢力であり、その他にはイラク人の主要な勢力はなく、すべてのグループと政党は新しいものも古いものも、2003年9月に宣言された政治・戦略プログラムを支持しなければならないということです。平和的なレジスタンスはイラクでは武装レジスタンス以外に合法性を持たず、イラクのすべての政治組織は占領勢力との妥協を排して、また憲法草案をめぐる国民投票への参加のようないわゆる政治プロセスへの参加を拒否して、このプログラムを支持すべきです。憲法採択の国民投票は、イラクを宗派と人種にもとづいて三つの小さな国に解体することを確実にするために、アメリカ政府によってイラクに押しつけられたものなのです。レジスタンスはいかなる選挙、国民投票への参加も占領体制を認め、その合法性をデッチあげることにつながるだろうと考えます。
同志ならびに友人の皆さん
私たちはイラクにおいて武装レジスタンスが最終的にな勝利することを楽天的なほどに確信しており、ナショナリストと進歩勢力のあいだの内部抗争の半世紀を終わらせるために、今私たちが創設に尽力している民族民主戦線を通じて、来るべき解放政府がすべての国民的運動を代表するであろうことに一切の錯覚を抱いていません。
来るべき課題が占領勢力の挑戦よりも危険であるだろうという理由だけでなく、国民政党間の差異は血まみれの争いとか対立の理由とはならないと考えるがゆえに、新しいイラクは生まれながらにして民主主義であり、国民戦線によって統治されるでしょう。。国民政党間の差異は正常さの現われであり、兄弟・同志間における自然な差異なのです。
世界に関していうなら、アメリカ合衆国をうち負かすイラク・レジスタンスの勝利というきわだつ成果は、世界に新時代の始まりを告げるものとなります。なぜならば、それは世界に対するアメリカの独裁的な君臨に終止符を打ち、社会正義とすべての国家間の平等、あらゆる者のための自由、あらゆる者の繁栄、すべての人間への尊敬を特徴とする新世界秩序にむけて真剣に働くことを呼びかけるでしょうから。
メソポタミアの地(イラク)から歴史が始まり、最初の文明が出現し、そして今、私たちイラク人が、バビロン文明の子孫が、ふたたび歴史の創造をおこない、アメリカ合衆国という悪の帝国に対する武装闘争の中心地バグダッドから人類解放の行進が始まりました。何十万ものイラク人が自由な人間の気高い原理のために命をなげだす覚悟でみずから準備してきたことですから、この行進は決して中断することはありません。
イラク武装レジスタンス万歳
解放と社会主義に勝利を
世界中で一般市民を暗殺する者を辱めよ
アメリカ占領軍の収容所に囚われたすべてのイラク人に、
特にイラク・レジスタンスの創造者フセイン大統領に自由を
サラハ・アル・モフタール
イラク友好と平和・連帯機構議長
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by exod-US
| 2005-09-29 23:30
| イラク戦争と謀略テロ