2011年 04月 08日
原発危機:まぼろしの安比高原スキー場レストハウス(続き) |
現場に入ったのが遅かったから自ずと工期は詰まり,激しいブリザードの日は何日もあったが,この約70日間の間で休んだのは1日だけという突貫工事となった.
前も見えないほどの猛吹雪の朝,雪中の作業には慣れているはずの地元勢にも不穏の空気が漂い,結束して今日はどうあっても仕事できないという強硬な申し入れがあったときでさえ,わたし達仙台勢だけは現場を空けなかった.仙台から乗り込んだ手勢は現場近くの民宿に止まっていたので風呂には毎日入ることができたが,一度も洗濯しなかったので履き替えの軍足が70足後に残った.そのときの軍足の最後の1足は30年経った今でもまだわたしの衣類箱にあり,履き替えがなくなったときの予備としてときどき引っ張り出される.

日本建築では建前(たてまえ)のときに一気に土台から屋根まで組み上げてしまうが,アメリカ流工法では最初に一階の床張りをやってしまう.従って,丸太積みはまっ平らな床の上で行うことになり,作業は子どもの積み木遊びのように順調にはかどった.次に太い丸太の柱を立て,その上に梁を載せて根太を仕掛け,また床を張る.梁材は1本で1トン半近くあるから,到底人力で上げることはできない.しかし,床は平らだし柱の長さは3メートルしかないから,高い脚立を使ってでも作業はできる.2階の床を張った後は,条件は1階とまったく同じになるので2階の梁を上げるまでは至極順調に進んだ.だが,その後の小屋組みは足場なしには不可能だ.
しかし,この現場では足場を組むことはまったく予定されていなかった.建物の外装は丸太を積み上げて終りということになるので,外装工事というのが一切なかったためだ.わたしは屋内に足場を組むことを求めたが却下され,代わりに可動式のキャスター付きの足場を導入することだけが認められた.建物中央部は大きな吹き抜けになっているため,かなり広い面積で2階床の無いところがある.どうやってその辺りを切り抜けたのかは忘れてしまったが,安全な仕事ではなかった.大工仕事で安全ベルトを締めるということはまずないし,この時代は安全意識がまだ今のように高くなかったので,仮に安全ベルトをしていても使わないというのが普通だったが,この現場では安全ベルトは必ず装着とし,高所作業するときはワイヤーを水平に張ってそれに安全ベルトのフックを掛けることを厳守した.いや,実際,そうしなければできない作業だった.

ともかく小屋組みまで進んだ.束(つか)を立て,母屋(もや)を上げ,通りを見て(中心線を通して)桟木で仮止めする.いよいよ最後の棟を上げる.棟木は5寸(15cm)角.通常なら棟木にはほぞ穴が掘ってあるから,束のほぞに合わせて半分まで押し込み,後は棟木にまたがって上から掛矢(かけや,大形の木槌)で落とし込めばよい.しかし,今回の工法では太い異型棒鋼を上から打ち込むことになっている.誰がそれをやるのか?地上12メートルの棟木の上に立って,重さ5キロの大ハンマーを振り上げ,直径約2センチ,長さ30センチの異型棒鋼を力一杯叩き込む作業をやれる人間が果たしているのか?しかし,それを誰かがやらなくてはならない.
わたしはその場に大工全員を集めて作業内容を説明した.わたしの次の言葉が出るのを待って,皆顔を伏せた.「誰かやるものは?」とわたしは問わなかったが,顔を上げる者はいなかった.わたしは何も言わず黙って大ハンマーを取って上に上った.棟束は6メートル.1箇所打つたびに上がり降りしていたのでは,却ってエネルギーを消耗してしまう.わたしは大ハンマーを片手に右も左もない20メートルの棟木の上を歩き,6本の巨大釘を打ち込んで下に降りた.

これに次ぐ危険な作業として垂木(たるき)の鼻切りがあった.この作業でもわたしが率先した.屋根板を張り終り,墨糸を張って屋根板の端を丸鋸で切り落とす.通常ならこのとき垂木も同時に切り落とすことができるのだが,如何せん垂木が太いのでチェーンソーを使わなくてはならない.屋根板の端を切るのもスリリングな作業だが,丸鋸ならしゃがんだ姿勢を取れるからまだしもだ.チェーンソーはどうしても腰を上げた姿勢でなければ使えない.腰が高くなれば重心は屋根の外に出るし,チェーンソーは重い.このときは,屋根の棟の辺りに一人配置し,そこから綱を伸ばしてもう一人を腰綱でサポートし,その一人がチェーンソーを使う者のベルトをつかんで確保するという体勢を取った.わたしを確保する担当にはいつもいろいろな場面でわたしと意見の合わないことが多かった人物,つまり,わたしの一番信頼できる人間を当てた.
鼻隠し(垂木の先端を隠す横板)を打ち付ける作業も同様に危険な作業だが,これは一人ではできない.2,3人が屋根の一番端に並んで出て一枚の板を片手で支えながら片手で釘を打つという難しい仕事だ.作業的には通常の木造建築で行うのと同じだが,勾配ははるかにきつく,厚み3センチ,幅30センチ,重さで通常の3倍という厚板を3寸釘で打ち付けるのだ.まだ窓枠などの造作は残っているが,この作業が終れば本体工事はほぼ完了する.がんばろう.手勢,地元勢,合わせて20余人の寄せ集め大工集団は一味同心してこの作業をやり抜いた.
本体工事はわたしを含む軽傷事故2件を除き,重大事故もなく無事完了した.我々と並行して作業していたリフト鉄塔の建設現場はさらに過酷な雪中作業となり重傷事故を出している.こちらでは資材輸送にヘリを使っていた.まだ終っていない細部を除き,アメリカ人大工から引き継いだ設計図面通り完成したが,ただ一つ気がかりなことがあった.耐震性の問題である.
丸太を積み上げた壁は平面を保っている限りは壁構造としての十分な強度があると考えられたが,それはあくまで壁面が完全に平面を成していることが前提だ.壁面の平面性を維持するためにそれと直角に処々に細い丸太を積み上げた袖壁が設けられているが,ほとんど装飾的な効果しかないように思われる.仕口はすべて突き付けで,接合部は釘ないし棒鋼を打ち込んだだけの間に合わせだ.釘は引き抜きに対しては十分な粘りがあるし,せん断力としては棒鋼の断面があれば十分にも思われるが,一度緩んだらお終いだ.確かに,本実(ほんざね)加工した厚板が用いられている1階と2階の床および屋根は,それ自体壁構造と同等の強度があるとみることもできるが,建物が傾むくことに対しては対抗できない.
何よりも部材が重過ぎる.金物で繋いだ全長20メートルの梁は1本で5トン近くあり,それが10本も使われている.小さい地震なら部材が重いことは有利に作用するが,大きい地震のときにはこれらの重い部材ですらおもちゃのように揺り動かされてしまうだろう.そうなったらどうなるか?フロアにいる何百人というスキー客の頭上にこれらの何トンという梁が落ちてくるイメージがわたしの目に浮かんだ.地元の大工勢からも不安の声は漏れてきた.この建物の設計は確かに県の建築確認を通ってはいるが,耐震構造計算は行われていない.わたしは雇用主である一級建築士資格を持つ工務店の社長に「構造計算して耐震性を保証してくれ.でなければ何か補強材を出してくれ.さもなければわたしはこの建物に責任を負えない.」と警告した.

(1981年,つまりこの年の6月1日に建築基準法の『新耐震基準』が施行されているが,この申請はそれ以前になされていた可能性がある.いずれにしても「高さが13メートル若しくは軒の高さが9メートルを超えない木造建築物」では「構造計算書」は必要とされない.この建物は軒高6メートル,棟高12メートルなので,ぎりぎり審査を免れる.ちなみにわたしは一応二級建築士の資格を持ってはいるが,一度も使ったことはないし免状も失くしてしまった.)
わたしの強い要望が通って,直径1センチほどの鉄筋を筋交いとして入れることになった.開業日が迫っていたので,工程的にももはやそれ以上のことはできなかった.できるだけ歩行の邪魔にならぬよう目立たぬように入れようとしたが,どうやってもかなりの程度美観を損ねることになるのは避けられなかった.わたし自身の美意識からしても抵抗はあったが安全には換えられない.この建物は数年後に解体され撤去されることになるが,もし,後から追加されたこの余分な工作物がなかったら,おそらくこの建物はそのままその場所に存続していたに違いない.
スキー場のオープンが1週間後に迫るころ,多少の作業は残っていたもののもう20人もの人工(にんく)を抱えるのも過剰になってきたので,慰労会を開いて解散することにした.その日は早仕舞いとして現場の片付けだけを行った.彼らがこの苛烈な現場にどれほどの愛惜を感じていたかは,大勢でかかればそれほど広くもないフロアーを,列柱を,また手すりを,窓枠を,彼らがどれほど心を込めて丁寧に掃き清め,拭き清めしていたかを見れば分かる.太い柱の影には柱に頭を打っつけて肩を震わせている若い男の姿があった.わたしは彼らに何かねぎらいの品を渡したいと思ったがもとより何もなかったので,ぼろぼろになった青図(青写真)を手渡した.数枚の青図は手から手の奪い合いになり,最後には一枚を二枚に分け合って皆で持ち帰った.
その後10数年経って,この解体されたログハウスが三陸方面に移設されたという話をどこかで読んだ.今回この記事をもう一度探したが見つけることはできなかった.もし海岸線に建っていたとすれば,今頃は太平洋をばらばらの丸太となって漂流しているのかもしれない.このログハウスを作ったコロラド州のメーカーはその後倒産し,エア・ログの発明者でありその会社のオーナーであった人物はアメリカを捨ててインドに旅立った.わたしはこの小柄な人物にわたしの住むこの町で邂逅し2人だけで話をしたことがある.なんとも言えぬ奇すしき因縁を感じる.
安比高原のログハウスに触れてぼそっと,「あれはビューティフルでなかった」とつぶやいた.もちろんそれはわたしが付け加えた鉄筋筋交いのことを指している.わたしは,「構造計算を求めたのに出なかったのでそうするしかなかった」と弁明した.彼の会社はその後10万ドルのミニコンを購入したと言う.「構造計算」の話が伝わったのだろうか?彼の弟はコロラド大学のコンピュータサイエンスの教授だったというが,高価なミニコンは宝の持ち腐れとなり,そのローンが倒産の主因となった可能性はある.まぼろしの安比高原スキー場レストハウスの後日談である.
遠い昔に岩手県で仕事をしたことがあり,そこにログハウスを建てたことがあったことを思い出したのは,東日本大震災の日増しに増える死者の数が千のオーダーを超えてからのことだった.あのとき予見していた地震が30年後に実際に起きた.わたしはわたし自身が大惨事の直接の責任者となることから辛うじて免れることができたことを天に感謝した.たとえそれが,あのログハウスに賭けた多くの人々の夢と情熱と献身を無に帰するものであったとしても・・・いや,であるからこそまぼろしの安比高原スキー場レストハウスは今もなお,それに関わった人々の胸の中に生き生きとした光を放ち,その在りし日のままの姿でしっかりと建っているのである.
前も見えないほどの猛吹雪の朝,雪中の作業には慣れているはずの地元勢にも不穏の空気が漂い,結束して今日はどうあっても仕事できないという強硬な申し入れがあったときでさえ,わたし達仙台勢だけは現場を空けなかった.仙台から乗り込んだ手勢は現場近くの民宿に止まっていたので風呂には毎日入ることができたが,一度も洗濯しなかったので履き替えの軍足が70足後に残った.そのときの軍足の最後の1足は30年経った今でもまだわたしの衣類箱にあり,履き替えがなくなったときの予備としてときどき引っ張り出される.

しかし,この現場では足場を組むことはまったく予定されていなかった.建物の外装は丸太を積み上げて終りということになるので,外装工事というのが一切なかったためだ.わたしは屋内に足場を組むことを求めたが却下され,代わりに可動式のキャスター付きの足場を導入することだけが認められた.建物中央部は大きな吹き抜けになっているため,かなり広い面積で2階床の無いところがある.どうやってその辺りを切り抜けたのかは忘れてしまったが,安全な仕事ではなかった.大工仕事で安全ベルトを締めるということはまずないし,この時代は安全意識がまだ今のように高くなかったので,仮に安全ベルトをしていても使わないというのが普通だったが,この現場では安全ベルトは必ず装着とし,高所作業するときはワイヤーを水平に張ってそれに安全ベルトのフックを掛けることを厳守した.いや,実際,そうしなければできない作業だった.

わたしはその場に大工全員を集めて作業内容を説明した.わたしの次の言葉が出るのを待って,皆顔を伏せた.「誰かやるものは?」とわたしは問わなかったが,顔を上げる者はいなかった.わたしは何も言わず黙って大ハンマーを取って上に上った.棟束は6メートル.1箇所打つたびに上がり降りしていたのでは,却ってエネルギーを消耗してしまう.わたしは大ハンマーを片手に右も左もない20メートルの棟木の上を歩き,6本の巨大釘を打ち込んで下に降りた.

鼻隠し(垂木の先端を隠す横板)を打ち付ける作業も同様に危険な作業だが,これは一人ではできない.2,3人が屋根の一番端に並んで出て一枚の板を片手で支えながら片手で釘を打つという難しい仕事だ.作業的には通常の木造建築で行うのと同じだが,勾配ははるかにきつく,厚み3センチ,幅30センチ,重さで通常の3倍という厚板を3寸釘で打ち付けるのだ.まだ窓枠などの造作は残っているが,この作業が終れば本体工事はほぼ完了する.がんばろう.手勢,地元勢,合わせて20余人の寄せ集め大工集団は一味同心してこの作業をやり抜いた.
本体工事はわたしを含む軽傷事故2件を除き,重大事故もなく無事完了した.我々と並行して作業していたリフト鉄塔の建設現場はさらに過酷な雪中作業となり重傷事故を出している.こちらでは資材輸送にヘリを使っていた.まだ終っていない細部を除き,アメリカ人大工から引き継いだ設計図面通り完成したが,ただ一つ気がかりなことがあった.耐震性の問題である.
丸太を積み上げた壁は平面を保っている限りは壁構造としての十分な強度があると考えられたが,それはあくまで壁面が完全に平面を成していることが前提だ.壁面の平面性を維持するためにそれと直角に処々に細い丸太を積み上げた袖壁が設けられているが,ほとんど装飾的な効果しかないように思われる.仕口はすべて突き付けで,接合部は釘ないし棒鋼を打ち込んだだけの間に合わせだ.釘は引き抜きに対しては十分な粘りがあるし,せん断力としては棒鋼の断面があれば十分にも思われるが,一度緩んだらお終いだ.確かに,本実(ほんざね)加工した厚板が用いられている1階と2階の床および屋根は,それ自体壁構造と同等の強度があるとみることもできるが,建物が傾むくことに対しては対抗できない.
何よりも部材が重過ぎる.金物で繋いだ全長20メートルの梁は1本で5トン近くあり,それが10本も使われている.小さい地震なら部材が重いことは有利に作用するが,大きい地震のときにはこれらの重い部材ですらおもちゃのように揺り動かされてしまうだろう.そうなったらどうなるか?フロアにいる何百人というスキー客の頭上にこれらの何トンという梁が落ちてくるイメージがわたしの目に浮かんだ.地元の大工勢からも不安の声は漏れてきた.この建物の設計は確かに県の建築確認を通ってはいるが,耐震構造計算は行われていない.わたしは雇用主である一級建築士資格を持つ工務店の社長に「構造計算して耐震性を保証してくれ.でなければ何か補強材を出してくれ.さもなければわたしはこの建物に責任を負えない.」と警告した.

わたしの強い要望が通って,直径1センチほどの鉄筋を筋交いとして入れることになった.開業日が迫っていたので,工程的にももはやそれ以上のことはできなかった.できるだけ歩行の邪魔にならぬよう目立たぬように入れようとしたが,どうやってもかなりの程度美観を損ねることになるのは避けられなかった.わたし自身の美意識からしても抵抗はあったが安全には換えられない.この建物は数年後に解体され撤去されることになるが,もし,後から追加されたこの余分な工作物がなかったら,おそらくこの建物はそのままその場所に存続していたに違いない.
スキー場のオープンが1週間後に迫るころ,多少の作業は残っていたもののもう20人もの人工(にんく)を抱えるのも過剰になってきたので,慰労会を開いて解散することにした.その日は早仕舞いとして現場の片付けだけを行った.彼らがこの苛烈な現場にどれほどの愛惜を感じていたかは,大勢でかかればそれほど広くもないフロアーを,列柱を,また手すりを,窓枠を,彼らがどれほど心を込めて丁寧に掃き清め,拭き清めしていたかを見れば分かる.太い柱の影には柱に頭を打っつけて肩を震わせている若い男の姿があった.わたしは彼らに何かねぎらいの品を渡したいと思ったがもとより何もなかったので,ぼろぼろになった青図(青写真)を手渡した.数枚の青図は手から手の奪い合いになり,最後には一枚を二枚に分け合って皆で持ち帰った.
その後10数年経って,この解体されたログハウスが三陸方面に移設されたという話をどこかで読んだ.今回この記事をもう一度探したが見つけることはできなかった.もし海岸線に建っていたとすれば,今頃は太平洋をばらばらの丸太となって漂流しているのかもしれない.このログハウスを作ったコロラド州のメーカーはその後倒産し,エア・ログの発明者でありその会社のオーナーであった人物はアメリカを捨ててインドに旅立った.わたしはこの小柄な人物にわたしの住むこの町で邂逅し2人だけで話をしたことがある.なんとも言えぬ奇すしき因縁を感じる.
安比高原のログハウスに触れてぼそっと,「あれはビューティフルでなかった」とつぶやいた.もちろんそれはわたしが付け加えた鉄筋筋交いのことを指している.わたしは,「構造計算を求めたのに出なかったのでそうするしかなかった」と弁明した.彼の会社はその後10万ドルのミニコンを購入したと言う.「構造計算」の話が伝わったのだろうか?彼の弟はコロラド大学のコンピュータサイエンスの教授だったというが,高価なミニコンは宝の持ち腐れとなり,そのローンが倒産の主因となった可能性はある.まぼろしの安比高原スキー場レストハウスの後日談である.
遠い昔に岩手県で仕事をしたことがあり,そこにログハウスを建てたことがあったことを思い出したのは,東日本大震災の日増しに増える死者の数が千のオーダーを超えてからのことだった.あのとき予見していた地震が30年後に実際に起きた.わたしはわたし自身が大惨事の直接の責任者となることから辛うじて免れることができたことを天に感謝した.たとえそれが,あのログハウスに賭けた多くの人々の夢と情熱と献身を無に帰するものであったとしても・・・いや,であるからこそまぼろしの安比高原スキー場レストハウスは今もなお,それに関わった人々の胸の中に生き生きとした光を放ち,その在りし日のままの姿でしっかりと建っているのである.
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